東洲斎写楽も浮世絵に描いた、謙虚すぎる歌舞伎役者・5代目 市川團十郎の生き方 前編 (1/2ページ)

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東洲斎写楽も浮世絵に描いた、謙虚すぎる歌舞伎役者・5代目 市川團十郎の生き方 前編

謎多き浮世絵師、東洲斎写楽が描いた中でも最も完成度が高いと言われる有名な役者絵があります。この役者が5代目市川團十郎である事をご存知でしょうか。

写楽「5代目市川團十郎『恋女房染分手綱』の竹村定之進」Wikipediaより

この團十郎、芸風だけでなく生き様までもが人々から愛された素晴らしい人物でした。今回は人気役者・5代目團十郎の魅力的な生き様をご紹介します。

 海老蔵ではなく蝦蔵

若い時は病気がちで痩せており、芸も未熟だったという5代團十郎。しかし彼は大器晩成し、年を取ってから日本一の役者と評されるようになります。寛政3年11月、51歳の時に、江戸市村座で市川蝦蔵を襲名。よく見てください、「海老(えび)」ではなく「蝦(えび)」です。この時の彼の襲名口上いわく「祖父、親は『海老蔵』の字を付けましたが、私がえびはざこ蝦(雑魚えび)の文字を用いまする」。

また、俳名も白猿(はくえん)に変えますが、それに関しても「祖父は栢筵(はくえん)、倅も柏筵(はくえん)、私はしろざると書いて白猿(はくえん)と読みます。その心は、名人上手に毛が三筋足らぬと申す儀にござります」。「猿は人間に毛が三筋足らぬ」ということわざにかけて笑いを取ったのです。その口上があまりに面白く大評判を呼び、連日大勢の人が押しかけて芝居小屋が大混乱になったので、わずか4日でこの襲名口上は中止になったといいます。彼のイヤミのない謙遜とウィットのバランスが、人々から愛されたのです。

庶民の共感を呼んだ「楽しみ」

そんな白猿は、「花道つらね」という名前で狂歌をたしなんでいました。腕は相当なもので、大田南畝ら有名狂歌師も彼と交流を持ち、その実力を買っていました。45歳の時には狂歌集「吾妻曲狂歌文庫」でこんな狂歌を披露しています。

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