弟のピンチに取った行動とは?室町時代を築いたレジェンド・足利尊氏の生涯に迫る!その3 (3/3ページ)

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尊氏は、朝廷からの帰還命令もそっちのけで困窮していた武士の救済に取り組み、京との関係が揺らぎ始めました。

それに追い打ちをかける事件が起こりました。足利が接収して武士に与えてしまった領土の中に、新田義貞が支配権を持っていた土地も含まれていたのです。かねてから足利とライバルだった新田氏の総帥である義貞は激怒し、後醍醐天皇に尊氏討伐の許しを得ようとします。

尊氏も負けじと義貞の不当性を訴えますが、新田側は綿密な訴状を書き上げ、足利のせいで護良親王が亡くなったこと、尊氏が天皇の命令書をないがしろにしたなど、足利の非を糾弾しました。これによって後醍醐天皇の忠臣として名を馳せた足利尊氏は、朝廷に反逆した賊として追われることになってしまったのです。

後醍醐天皇を味方にした新田義貞が官軍として襲来すると言うかつてないピンチを、どのようにして尊氏は切り抜けたのでしょうか。次項では、それをお話します。

画像:Wikipedia『護良親王』『足利直義』『新田義貞』

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