大谷翔平の二刀流どころか九刀流も!? プロ野球界「激レアさん」連れてきた!

日刊大衆

大谷翔平の二刀流どころか九刀流も!? プロ野球界「激レアさん」連れてきた!

 才能を持った限られた人間しか入れないプロの世界。ときには、変わった選手も数多く存在した。今回は、そんなプロ野球界を彩った珍しい“激レア”さんを集めてみた!

 メジャー1年目の大谷翔平(エンゼルス)が、開幕するなり、いきなり投打で異次元の活躍を見せて、世界中の野球ファンを驚かせた。そんな大谷以前に、二刀流選手として活躍していたのが、かつて、近鉄に在籍していた永淵洋三。近鉄時代の同僚だった野球評論家の伊勢孝夫氏が証言する。「永淵さんは最初、ピッチャー登録で入団した。ところが、ノンプロ時代にバッターとして鳴らしていことを知っていた三原監督はキャンプの紅白戦でいきなり、“おい、永淵。ピンチヒッターで行くぞ”と指名。ここで簡単にセンター前ヒットを打ってしまったんや。オープン戦でも代打で起用されると、器用に流し打ちを見せて期待に応えた。バッティングセンスは非凡なものがあったんや」

 シーズンに入っても代打で初ホームランを打ち、そのまま中継ぎでマウンドにも上がるなどして、新聞でも「二刀流」と騒がれたが、結局、投手兼打者は最初の1か月ほどだった。2年目にバッターに専念すると、張本勲と最後まで首位打者を争い、打率.333の同率でタイトルを分け合い、MVP級の活躍を見せた。また、酒好きで知られた永淵。「外野で守っている永淵のオッサン見ると、ゲーゲー吐いとったで。そら、漫画の『あぶさん』の主人公のモデルになるくらいやからな。客が少なかったからできたけど、今なら大問題や(笑)」(前出の伊勢氏) いろんな意味で、激レアだ!

 日本のプロ野球の歴史の中で唯一、左右両投げのスイッチピッチャーとして登録された投手がいる。1987年、ドラフト外で南海ホークスに入団した近田豊年で、88年には公式戦登板も経験したが、プロのマウンドで両投げを披露することのないまま、現役生活を終えた。まるで漫画の世界だ。

 二刀流どころか九刀流!? 投手を含めた、9つのポジションすべてを守った選手が2人いる。64~82年、南海や東映などで活躍した高橋博士と、オリックスや近鉄でプレーし、現在はソフトバンクのコーチを務める五十嵐章人。特に、高橋は74年9月29日の南海戦で、1試合で全ポジション出場を果たすという快挙を成し遂げている。高橋が南海から東映に移る際、トレード相手だったのが、現野球評論家の江本孟紀氏。江本氏が当時を振り返る。「特に親しい選手ではありませんが、話ぐらいはしましたよ。全部のポジションをやるということは捕手ができるということですから、それは大したものだと思います」

 ポジションだけでなく、驚くほど数多くの球団を渡り歩いたのが、後藤修。松竹ロビンスに始まり、大洋松竹ロビンス、東映、大映スターズ、巨人、近鉄、南海、西鉄と全部で8球団を渡り歩いた。この数は、現在でもプロ野球記録である。後藤は引退後、ゴルフのティーチング・プロとなり、尾崎将司や中嶋常幸などを指導。ゴルフに関する数々の著書を持っている。引退後の第二の人生も激レアだ。

■陸上のスプリンターがプロ野球選手に

 最も有名なのが、陸上競技のスプリンターを、盗塁のスペシャリストとして使おうというアイデア。当時、ロッテの永田雅一オーナーの肝いりで白羽の矢が立ったのが、当時100メートルの日本記録を持っていた飯島秀雄だ。69年に、「日本初の代走専門選手」として、プロ野球界入りを果たした。「走塁コーチとして入団するはずが、いつの間にか選手登録になっていた」という逸話が、「永田マジック」の強引さを物語っている。今で言えば、桐生祥秀や、ケンブリッジ飛鳥が入団するような話と聞けば、激レアさがよく分かるだろう。

 飯島がプロの3年間で残した記録は、通算で117回代走起用され、盗塁成功23(二盗17、三盗5、本盗2)、盗塁死17、牽制死5。盗塁成功率としては、期待したほど高くはなかった。前出の伊勢氏は、当時を振り返って証言する。「ワシがファーストを守っているときに代走で出たけど、2~3歩しかリードできなかった。あれじゃ、セーフにならんわ。リードしないでクラウチングスタートにして、コーチャーのゴーという声でスタートしたほうが速く走れたかもしれんし、ファンも盛り上がったかもしれんな」 その後、飯島は故郷に帰り、運動具店を始め、陸上競技のスターターなどを務めた。

 元陸上選手は他にも。高校生のときに、やり投げで南関東大会優勝、国体6位入賞という異色の経歴を引っさげて西武ライオンズに練習生として入団し、その後ドラフト8位で同球団にプロ入りしたのが日月鉄二。ただ、この選手は単純に「陸上競技から野球」に転向したというわけではなく、もともと野球選手であり、高校生のときに陸上に転向し、再び野球に戻ってきたというもの。ただ、現役のやり投げ選手の村上幸史は、140キロ超えの速球を投げられるので、意外と親和性はあるのかもしれない。

 プロではないが、今年のセンバツで投手兼野手として活躍し、今年のドラフトの超目玉である根尾昴(大阪桐蔭)は、中学時代に全国中学スキー大会アルペン回転で優勝という実績を持っている。身体能力は、すでに怪物級だ。他にも、正式な経歴ではないが、落合博満は浪人時代に、ボウリング場でのアルバイトをきっかけに、一時プロボウラーを志すようになったという有名な話もある。

 前出の江本氏によれば、「そんなこと言い出したら、私なんか、大学時代はフィリピンバンドのプロダクションで運転手やったり、京王デパートのうどん屋でウエイターのアルバイトをやってましたよ」ということなので、プロ野球界には、いろいろな選手が集まっているのだ。

■インパクト大の珍しい名字の選手も多い

 プロの世界には、実にインパクトのある珍しい名字の選手も多い。現役でも、筒香嘉智(DeNA)や、下水流昴(広島)などの珍しい名前は枚挙にいとまがないが、歴代の中で最もインパクトがあったのは、やはり源五郎丸洋(阪神)だろう。源五郎丸が突如、阪神に指名されたのは81年のドラフト。当初、阪神は電電九州の右田和彦を1位指名したのだが、抽選で横浜大洋に敗れたため、外れ1位として指名されたのが、この源五郎丸だった。

 他球団がノーマークだったことと名前のインパクトで、一時は大きな話題になったが、体もできあがっていないうちに有料紅白戦の客寄せパンダに使われたりして、練習中に大腿二頭筋断裂という重傷を負ってしまう。その後は結局、一度も一軍に上がらないまま引退してしまった。ちなみに源五郎丸はローマ字で書くとGENGOROUMARUと12字の長さだが、これまでの最長記録は、2007年にロッテに入団した下敷領悠太の13文字(SHIMOSHIKIRYO)だ。

 伝統的に、広島には珍しい名字の選手が集まる傾向があるが、近年、ふりがながないと読めない難読名前が、梵英心だった。実家は浄土真宗本願寺派の専法寺。明治期に姓を名乗る際、仏教用語にちなんで「梵」の字を使ったらしいが、なぜ「そよぎ」と読むのかは謎のままだ。また、一般的にはあまり知られていないが、球界に何人もの選手を送り込んでいるのが今久留主一族。元毎日、西鉄の今久留主淳、元毎日、近鉄の今久留主功、大洋や西武で活躍した今久留主成幸、そして日本航空石川高校の今久留主祐成監督は、親戚または兄弟として知られている。今後も「今久留主」に注目したい。

 さて、最後は私生活。プライベートで変わっている選手といえば、入団会見で好きな食べ物を聞かれて、「フロリダでは普通に食べるワニの肉だ」と答えた元ヤクルトの助っ人ラリー・パリッシュ。都内に1軒だけあったワニ肉を提供する店を探し出し、そこで、思い切りワニ肉を食べていたようだ。

 25歳上の妻とのおしどり夫婦ぶりが話題になったのが、ヤクルトや巨人で活躍したロベルト・ペタジーニ。なにしろ、常にベタベタしていた妻のオルガ夫人は、ペタジーニの友人のお母さんだったのだ。野球ファンならずとも驚いたものだが、実はその後、2人は離婚したと伝えられている。やはり、年齢差は問題だったのだろうか。

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