亡くなった方のサイトやブログ、SNSなどデジタル上のお墓について (1/2ページ)
インターネットが一般に普及して20年程が経つ。さらに「パソコン通信」と呼ばれ、一部の人達の間で機能していた80年代にさかのぼれば40年が経とうしている今、個人のホームページ、ブログ、SNSのアカウントなどその管理者が死亡している場合も当然あり、それが年々増えているのも必然であろう。ネットにアクセスすれば生きている人達の声に溢れている。そして同時にかつて生きていた人たちの残骸も多くある。そこには彼らの想い、遺された人たちの情念、ある種のおぞましさまでがつまっている。管理者亡きサイト・アカウントはデジタル時代における新しい形の墓標といえる。
■「デジタル墓」の光と闇
筆者が参加しているSNSにも管理者が死亡して更新が止まっているアカウントがあり、通知などができる権限を持つ友人がその旨を説明しているが、ログイン自体はできない為、現在もそのまま維持されている。
FacebookやTwitterでは追悼アカウントの申請ができるようになるなど対応が進められているが、個人や企業の情報漏洩など課題が残っている。ブログなどは闘病中の管理者から委託されて管理していた遺族が残してある場合も多い。
■故人サイトに寄せられるコメントは、いわば墓参・献花の一種
サイトなりブログなりが墓なら、逝去後もコメント欄に寄せられる声は、墓参・献花だと言えるだろう。数年前事故で急逝したタレントのブログ欄に、未だ多くのコメントが寄せられているという記事を読んだ。このタレントを偲ぶファンたちによるものだ。他にも有名人や闘病記を綴っていた人のブログやSNSに、現在もコメントが絶えない例はいくつか見受けられる。誕生日にはお祝いの、命日にはお悔やみのメッセージが書き込まれ、「生きる希望をもらいました」「一生忘れません」など、故人の「意志」を継ぎ、未来につなぐ声も多い。
人が本当に死ぬとは忘れられることである。存在そのものが無かったことになることだ。逆に言えば人々の記憶に残り、語り継がれる時、その人は死んではいない。現実の墓で死者と語り合うように彼らはデジタル空間の墓で語り合っているのである。