天皇と相撲をとって椅子を破壊?平安朝一の色男・在原業平の意外な一面

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天皇と相撲をとって椅子を破壊?平安朝一の色男・在原業平の意外な一面

「伊勢物語」の昔男・在原業平

在原業平といえば、「伊勢物語」の昔男のモデルとして有名です。二条の后(陽成天皇の生母・藤原高子)や、伊勢の斎宮との密通など、数々の女性と浮名を流したプレイボーイとして描かれています。そのほか、「百人一首」の「ちはやふる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」の歌の作者としても有名。

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在原業平と二条后(月岡芳年画)

父・阿保親王は平城天皇の皇子であるため、在原業平はつまり天皇の孫にあたります。母の伊都内親王は桓武天皇の皇女なので、母方をたどっても天皇の孫。家柄よし、歌の才能よし、おまけに顔よし、まさにサラブレッドでした。

今回はそんな在原業平の、ちょっとイケメンじゃないエピソードを紹介します。

宇多天皇と内裏で相撲をとり、椅子を壊す

時は、まだ宇多天皇が即位する前、臣籍降下されて臣下の身であったころの話です。当時、王侍従であった宇多天皇(定省)は、内裏の殿上の間で業平と相撲をとり、天皇が座る椅子にぶつかり、椅子のひじ掛けを折ってしまったのです。

このことは歴史物語の「大鏡」にも書かれています。

王侍従など聞こえて、殿上人にておはしましける時、殿上の御椅子の前にて、業平の中将と相撲とらせたまひけるほどに、御椅子にうちかけられて高欄折れにけり。その折目今にはべるなり。

「大鏡」(校注・訳:橘健二・加藤静子「新編日本古典文学全集」/小学館 より)

これだけ見ると何となく血気盛んな若者が戯れに遊んでいたんだな、と思いますが、業平は825(天長2)年生まれ、宇多天皇は867(貞観9)年の生まれ。業平と宇多天皇は42歳も年が離れており、この出来事のとき業平は当時でいえば確実に老年であったことがわかります。

少年であった定省(宇多天皇)と戯れに相撲をとるいいおじさんの業平。いい歳にもかかわらず、少年のまま大人になったようなやんちゃな様子がうかがえますね。

ちなみに、「大鏡」によると、このときの椅子は折れ目がそのまま残っているんだとか。

このように、在原業平は高貴なプレイボーイといった特徴だけでなく、少年のような心をずっと持ち続けている人物でもありました。

同じように無茶をするエピソードはいろいろあるので、機会を改めて紹介しましょう。

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