天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 小泉純一郎・佳代子元夫人(下) (2/2ページ)

週刊実話

お腹の中にいた三男・佳長も成人し、社会人となっての結婚式の場に、突然、小泉と孝太郎、進次郎の3人が出席したことだった。佳代子と佳長にとっては、その間の小泉の母親の死、葬儀に駆けつけても堂々の焼香は許されず、献花だけをしてその場を去ったりしているのである。こうした“転機”は、次のようなものだったという関係者の話がある。
 「結婚式への出席は、進次郎の発案だったようだ。挨拶で、孝太郎が言ったそうです。『これからは、佳長君と仲良くやっていきたい』と。30年の歳月を経ての、ようやくの“和解”ということでした」

 3兄弟の和解の中、離婚後の佳代子はたくましかった。“お嬢さん”を捨て、意を決して不動産業の世界に飛び込み、苦労はあったろうが成功をみた。
 一方の小泉はと言えば、厚生大臣などを経て、平成13年(2001年)4月、ついに首相の座にのぼりつめた。国民に分かりやすい短いキャッチフレーズの言葉で人気を集め、佐藤栄作、吉田茂、安倍晋三に次ぐ戦後4番目の5年5カ月の長期政権を果たした。立ち居振る舞い、戦後初の「ファーストレディー」なしの“独身首相”として、異色の総理をまっとうした。内閣発足時にはこの小泉を「変人」とヤユした田中真紀子を外務大臣に起用、世間の耳目を集めたが、やがてこの真紀子外相にブレーキがきかなくなったとき、「更迭」への決断を迫ったのが、先の信子女史とも言われている。
 その小泉は首相退陣後はしばらく表に出なかったが、ここ2、3年「反原発」へのノロシを上げ、“人気者”の息子・小泉進次郎との「親子二代首相」へ思いを致しているようでもある。

 離婚後35年を経たいま、小泉、佳代子両人の心境はどんなものなのか。佳代子を取材したことのある女性誌記者は言った。
 「小泉が総理になって1年後くらいに佳代子元夫人に会ったら、言葉少なにこう言っていました。『(離婚は)お互いさまです。運命だったと受け止めています。でも、これだけは確かです。決して憎しみ合って別れたのではありません』」

 一方の小泉は、時に触れて「恋人話」「再婚話」が報じられているが、やはり総理になった直後、メディアのインタビューでこう語ったものだった。
 「(選挙の)落選と離婚は、1回だけでいいんじゃないかナ。離婚しない方法は何かと言えば、結婚しないことだ。離婚のつらさは、経験した者しか分からない。だから、僕は一人でいいんだ」

 政治行動には怖い者なし、キレ味のあった小泉ではあったが、男と女の関係の難しさにはホトホト参ったようであった。
=敬称略=
(次号は、福田康夫・貴代子夫人)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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