天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 小泉純一郎・佳代子元夫人(下) (1/2ページ)
小泉純一郎代議士とたった4年で離婚をよぎなくされた佳代子は、「女系家族」の嫁としての苦労を味わった。とくに、純一郎の秘書も務める3女、信子女史はその父親の代から秘書を務め、選挙のノウハウを熟知、小泉に政治家生活のイロハを手取り足取り教えたほどの“政治通”であり、小泉の選挙はすべて女史の指示によるものだった。ために、選挙の手伝いを買って出た佳代子は時に反発を買い、疎まれることも多かったということのようである。
小泉は逓信大臣をやった祖父、防衛庁長官を経た父に続く、「政治家三代目」たるべくを半ば義務づけられていただけに、姉としての信子女史の子供時代の純一郎に対する“教育”もなかなか厳しかったようだ。これにも、こんな関係者の証言によるエピソードがある。
「小泉が小学生の頃、友達とキャッチボールをやっていた。信子女史が、それを傍らで見ていた。ところが、友達が緩いボールを投げるのを見て、『もっと速いボールを投げてやって』と言った。速いボールが来ると、怖がった小泉はボールをそらす。女史は、そんな小泉にこう言ったそうです。『ダメじゃないの。それくらいのは、きちんと取れないようではッ』と。そんなひ弱さでは政治家にはなれませんよという、女史の叱咤激励の“英才教育”ということでもあったようだ」
「小泉が後年、首相となり、内閣支持率が下がったりしてメゲそうになっていると、『自分の信念を貫けばそれでいいの』と盛んにハッパをかけていたと言われている。また、小泉が公邸住まいとなってからも起居をともにしながら、朝食から晩酌の肴まですべて信子女史がつくっていた。訪米してブッシュ大統領(当時)に初めて会ったとき、青いシャツにベージュのコットンパンツ姿でキャッチボールをやって話題になったが、これらもすべて女史の演出だったと言われている。小泉への“政治指南者”にして、“母親がわり”が浮かび上がってくる」
そうした空気の中で、お腹の中には妊娠6カ月の三男を抱えた佳代子の追われるごとくの離婚、小泉家との断絶ということだった。以後、長男・孝太郎、次男・進次郎と会うことも禁じられた。母親の苦衷がしのばれる。
しかし、“転機”は30年の歳月を経て巡ってきた。