サリンジャーもヘミングウェイもいた! 1950年代のアメリカは文学の最強時代だ (3/4ページ)
50年代はその技術が全体に広がって安定してきた時期で、多くの人が高度でそれなりに新しいことをやっていた。
みんなが高いレベルで物をやれるという意味で、おもしろい時代なんです。それは小説も同じで、たとえばちくま文庫から出ているフラナリー・オコナーの作品集(『フラナリー・オコナー全短篇』)や、岩波文庫から出ているバーナード・マラマッドの短編集(『魔法の樽』など)を読めばある程度見えてくるんですけど、一冊の雑誌にまとめることでそれをパッと見せたいと思ったんです。作っていても楽しかったですね。
――50年代というと、たとえばノーマン・メイラーのような戦中派の作家もまだまだ現役でした。こうした作家たちの当時の評価はどういったものだったのでしょうか。柴田:メイラーは戦争から帰ってきて『裸者と死者』のようなすごい小説を書いたことで、「こいつこそが“グレート・アメリカンノベル”を書く奴だ」と目されていました。結局書かずに終わってしまったみたいですが。
メイラーに限らず、この時代はヘミングウェイも生きていましたし、フォークナーのような戦前から活躍していた人もいました。サリンジャーやカポーティなど、戦中戦後に出てきた人も一番脂が乗っていた時期です。
――贅沢な時代ですね!柴田:60年代になると、今度は誰でも高度なことができるというのがだんだん息苦しくなって、それまでの流れを壊そうという動きが出てきます。ブローティガンやカート・ヴォネガットはそうした中で出てきた作家ですね。
50年代に話を戻すと、この時代は冷戦に皆が脅威を感じていて、頭痛薬と胃薬が手放せない一方で、「強いアメリカ」「正しいアメリカ」がしきりに喧伝されたというイメージがあります。それはそれで全然間違っていないのですが、そうではない一面もあって、それをこの号では見せたかった。
付け加えるなら、50年代って小説が商品になっていた最後の時代なんですよ。チーヴァーなんかは短編をこつこつ書いて、それで食べていたんですけど、今はそんなことできないです。
――確かに、今は難しいと思います。柴田:現状を知る方からすると、そんな時代があったことが驚きですよね。