三船敏郎は自前ボートで災害救助!? 「大物スターの豪快伝説」 (1/2ページ)

日刊大衆

三船敏郎は自前ボートで災害救助!? 「大物スターの豪快伝説」

 映画が娯楽の王様だった時代、各映画会社に看板となる大物スターがいた。

「当時、ケタ違いのギャラを稼いでいた主演スターは、共演者やスタッフに振る舞う文化がありました。スターは、いかに豪勢に、かつスマートに立ち回るかが問われました」(ベテランの映画スタッフ)

 その点で、日活の金看板だった石原裕次郎は、やはり格が違ったようだ。「たとえば、地方ロケのときは、わざわざ赤坂あたりから芸者を呼んだ裕ちゃん主催の大宴会がある。そこでは、自身が誰よりも楽しむことで、参加者に気を遣わせなかった。そうしたことが、裕ちゃんは実にうまかった」(前同)

 当時の裕次郎はまだ20代半ばの若さだったのだから、驚きと言うほかない。東宝の大スターである三船敏郎も豪傑だった。“世界のミフネ”は、酒を飲むと真剣を振り回すなど、酒乱の気があったという。だが、シラフでの逸話が抜群にカッコいい。

「台風で川が氾濫し、当時、三船宅があった成城周辺が水没したことがあったんです。そこで、三船は所有していたモーターボートを駆使し、避難できずにいた18人の住民を救助したんです」(映画ライター)

 また、長男の三船史郎が、さるイベントで披露したエピソードもイカす。「史郎さんが子どもの頃、学校の運動会がたまたま母の日当日になった。すると、三船さんは小型飛行機を操縦して、運動会をやっているグラウンド上に飛来。で、上空から大量のカーネーションの花束をバラ撒いたといいます」(前同)

 大映の顔として君臨した勝新太郎もまた、豪快なエピソードに事欠かない。「昭和30年代後半、サラリーマンの平均月給は1万円程度でしたが、勝新は映画1本で500万円を稼いでいました」(同)

 そのうえで、いくら金があっても足りないような遊び方をしていた。

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