平安時代の悲劇のヒロイン、源頼朝の長女「大姫」その悲恋と貞操の生涯(下) (2/5ページ)
静御前(上村松園、明治36年)
義高の死から二年が過ぎた文治二1186年5月、大姫は病気平癒の祈願(御邪氣の御氣色の御對治)で、17日から27日まで「おこもり(参籠)」をしました。その満願成就となった5月27日、鎌倉にやって来ていた静御前(しずかごぜん)と出会います。
静御前は当時、謀叛人として追われていた源義経公の愛妾で、逃げた義経公の行方などを尋問するために召喚されており、白拍子(舞手)としても名高い彼女は、大姫を慰労するため芸を披露したと伝わります。大姫はとても喜んだと伝わりますが、愛する者を頼朝公に奪われた同士、意気投合したのかも知れません。
その後も大姫と静御前の交流は続き、同年9月16日に取り調べがすんだ静御前が京都へ帰る際に、政子と一緒に見送り、餞別(重宝)を与えたそうです。
4ヶ月程度の短い期間ではありましたが、傷心の大姫にとって静御前との出会いは、似通う境遇の友を得た思いであったろうと偲ばれます。
大姫の病気は、頼朝公への「神罰」?
大姫の病に免じて減刑された源範頼(横浜市金沢区 太寧寺蔵)
その後も観音様にお参りしたり、気晴らしの田楽奉納なども行われたりしましたが、大姫の病状はあまりよくならず、一進一退を繰り返していました。
ところで『吾妻鏡』の記録を追っていくと、大姫の病状が頼朝公の動きと連動しているパターンが見られます。
