戦後を代表する人物の一人 ボードビリアンのトニー谷の生涯 (2/5ページ)
それがないんですよね…(略)…トニーさんって隠さなきゃいけないことがたくさんあった人なのかなって…」とトニーの「過去」について思いを巡らせていた。永が言う「隠さなきゃいけないこと」を自分の意思で「語る」ことと、自分以外の第三者から不本意な形で暴かれ、面白おかしく広められることとは、その本人にとっては、大きく意味が違ってくる。
■戦後デビューし大活躍するも、子供を誘拐されたことがきっかけで転落し始める
17歳で家を出てから、さまざまな仕事に就き、そして中国大陸での戦争体験を経て、トニーは昭和26年(1951)にデビューした。それからは時代の波に乗って、舞台や映画やレコードなど、八面六臂の大活躍だった。しかし昭和30年(1955)7月、当時6歳の長男が何者かに誘拐されてしまった。幸い、子どもは無事に戻り、事件そのものは解決したのだが、トニーと一面識もなかった犯人が、犯行の動機のひとつとして、「人を小馬鹿にしたようなトニーの態度が許せなかった」と自白した。それを受けて、本来、被害を受けたトニーは擁護されて当然だったにもかかわらず、ジャーナリストの大宅壮一(1900〜1970)による、「植民地的ないまの日本の中で、最も植民地的な名前と芸を売り物にしている」、「トニーはいつもカツラをつけているというのは、皮肉な意味でなくて象徴的である。カツラは彼のハゲ頭を隠すわけではない。彼の生活そのものまでがカツラをかぶされている」、「あれぐらい、日本の人気者でありながら…(略)…その経歴のヒタおしにかくされている日本人というのも珍しい」などの「トニー叩き」に加え、マスコミ各社から一斉に、彼にとって最も知られたくなかった、子ども時代の詳細な「暴露」が始まったのである。
■過去を捨てたトニー谷
事件そのものに加え、取材攻勢、そしてそれらに影響を受けた一般人からのいたずらや嫌がらせに傷ついた一家は東京を離れ、箱根や熱海を転々としていた。そこで『東京新聞』のインタビューに答えたトニーは、「とにかく継父継母にいじめぬかれるし、嫌な戦争があったし、全く昭和20年に(日本に)帰ってくるまでボクの過去には何一ついい思い出がない。