戦後を代表する人物の一人 ボードビリアンのトニー谷の生涯 (3/5ページ)

心に残る家族葬

だから、過去を忘れたい気持ちから、聞かれてもいいたくなかったし、本名の大谷正太郎という名前も口にするだけでもいやだから、学生時代からペンネームに使っていた谷正を本名と称していたんです」と答えている。

事実、トニーが売れ始めた頃に、トニーの継父がトニーの家を訪問したことがあった。「家庭の事情」を知らなかった妻は、継父を家に上げたのだが、後からそれを知ったトニーは激怒した。そして継父に「『過去のどなた』ともお付合いはしておりません。たとえ近しい方とも。私が有名にならねば尋ねて(原文ママ)もこないのに。重ねて申しあげます。一切お付合いしません。楽屋への訪問、知合いといいふらす件、全部お断りします。私の一家、一身上のことは、自分でやりますから」と手紙を送った。その態度は身内のみならず、南京・上海時代の戦友に対しても同様だったという。

それはトニーが、「私の人生は29から。20年の12月に上海から引揚げて来てから始まったというわけです。それ以前はムダメシ29年」と切り捨てた人生を、自分以外の人間から突きつけられることによって、自分の古傷が痛むのに耐え難かったためだろう。

■過去があるから今があるのか 過去を捨てたから今があるのか

このような、葬り去りたい自分の過去や他人の汚点のことを、現在、「黒(くろ)歴史」と言う。「黒歴史」は「誰にでもあること。気にしすぎ」と、「親切な人」は「過去」を「黒歴史」などと「レッテル貼り」することなく、前向きに捉えるように提案するが、当の本人からすると、素直に首肯できることではない。だが皮肉にも、トニーの人生において、自分の中から消し去ってしまいたい「黒歴史」があったからこそ、誰にも成し遂げられなかったことを、ある意味図太く、そしてしたたかに達成することができたとも言える。

■ブームとなっている終活とエンディングノート

昨今、日本国内において終活がブームである。その一環として、「エンディングノート」の執筆にも脚光が当たって久しい。ノートには介護、終末医療や臓器提供問題、財産分与、遺品の処理、葬儀やお墓についてなどの現実的な要望のみならず、家族や大切な人へのメッセージや、「自分史」を書くためのページも設けられている。

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