一体どういうこと?源頼朝のお墓になぜか刻まれた薩摩藩主・島津氏の家紋「轡十文字」の謎 (3/4ページ)
ちなみに中央は頼朝公のブレーンであった大江廣元、左端はその四男で後に中国地方の覇者となる毛利氏の祖先・毛利季光のお墓です。
しかし、お墓と言っても、鎌倉の地で亡くなった可能性の高い大江廣元はともかく、薩摩に行った島津忠久、中国地方へ移った毛利末光が亡くなった後、わざわざ遺体を鎌倉まで運んで埋葬したとは、少し考えにくいです。
恐らく、後世(頼朝公のお墓を整備した同時期)の人々が彼らの功績を称えようと「頼朝公との近さ」が感じられる場所に改めて(遺体とは別の)お墓を造営することで、その偉大さを後世に伝えたかったのでしょう。
その意図は、彼らのお墓がある山のふもとにある北条義時の法華堂&お墓の入り口に立つ石燈籠に刻まれた「長(州)藩」の文字と、毛利氏の家紋「一文字三ツ星」からも察せられます。


