一体どういうこと?源頼朝のお墓になぜか刻まれた薩摩藩主・島津氏の家紋「轡十文字」の謎 (2/4ページ)
島津重豪による寄進が記された石碑。最左列に「薩摩中将源重豪」とある。
地元民としてはありがたい限りですが、どうして鎌倉から遠い薩摩藩主が、わざわざ頼朝公のお墓を整備してくれたのでしょうか。
実は、島津氏の祖先である島津忠久(しまづ ただひさ)は頼朝公の隠し子だった?という説があります。
尚古集成館所蔵・伝島津忠久肖像。
それが惟宗(これむね)家へ養子に出され、やがて薩摩へ移って島津氏を称した、と言われています。
つまり、島津氏は「頼朝公の子孫だから」とお墓を整備する事で、自分たちが「源氏の子孫である」という既成事実を固めたかったためとも言われており、単なる善意だけではない思惑が窺われます。(※もちろん、地元民からすれば、それでも十分にありがたいと思っています)
薩摩へ行った島津忠久のお墓が、なぜ鎌倉に?その島津忠久のお墓は、頼朝公のお墓から右奥に続く山道の少し先にあります。
(※山道は整備されていないため、参詣される方は北条義時の法華堂&お墓跡からの迂回ルートをおすすめします)
急な石段の上に山肌をうがった鎌倉地方特有の墓地「やぐら」が三つ並んでおり、その右端が島津忠久のお墓と伝えられます。