田中角栄「名勝負物語」 第二番 福田赳夫(1) (1/3ページ)
「福田は平手造酒、インテリ浪人だ。欠点は取り巻きの話を聞き過ぎること、太刀筋は鋭いが立ち上がりが遅いこと。福田が長ドスに手を伸ばす頃、オレはすでに板戸を蹴っ飛ばして殴り込みをかけてるよ」
尋常高等小学校卒で実社会に出、明敏な頭脳と努力で這い上がってきた田中角栄と、若くして秀才の誉れ高く、東大法科から「官庁中の官庁」大蔵省(現・財務省)へ入って最大の出世コース主計局長のイスにすわった福田赳夫は、生まれも育ちも違っていた。年齢もまた、田中が福田より13歳年下である。
この二人、1970年代から80年代にかけての十数年間、時に神経戦で、時に激突と厳しい政争を繰り広げてきた。これは永田町でいわく「角福戦争」と呼ばれ、戦後政治史上最大の権力闘争として位置づけられている。
さて、この「角福戦争」は、佐藤栄作のあとの総理の座を争った昭和47年(1972年)の熾烈を極めた「角福総裁選」を「第1ラウンドとしている。“実弾(札束)”が飛び交う、生臭い「死闘」を繰り広げたものである。そしての「第2ラウンド」は、その後、総理となった田中が金脈問題で失脚、三木武夫が後継指名を受けて総理の座についたが、三木はやがて発覚したロッキード事件で田中と対立した。その三木が党内抗争にもまれ、追い落とされたあと福田が手を挙げたことで、こんどは田中が「闇将軍」としての影響力を保持するための盟友関係にあった大平正芳を擁立、ここで再び福田との全面戦争となったということである。
しかし、ここで注目すべき点は、権力を握る争いではあっても、田中は決して完膚なきまで相手を叩きのめすことはせず、戦いが終わればまた手を握る余地を残していたことにある。ために、田中と福田の間にも、「戦争」後に抜き差しならぬという陰湿な関係は回避されている。まさに、「敵」との向き合い方一つで、人生は大きく変わることが多いということである。
権力闘争とは、政治が「政(まつりごと)」とされるように、政治家個々のエネルギーが徒党を組んだ場合、ワッショイワッショイでまさに「祭」、負けてなるかとなる。そうした中で、この「角福戦争」に対する田中の福田への思いを忖度した二人の証言がある。