葬儀と関係なかった仏教が、葬儀と結びついた背景と親鸞の影響力 (1/3ページ)

心に残る家族葬

葬儀と関係なかった仏教が、葬儀と結びついた背景と親鸞の影響力

日本仏教が「葬式仏教」と揶揄されて久しい。しかし元々、葬儀とは関係ないはずの仏教が葬儀と結び付いた背景には、死に対する「穢れ」を突破した鎌倉新仏教の僧侶たちの「慈悲」故であったことは以前にふれた。それは打ち捨てられた遺体を見かねた民衆の、供養して欲しいという願いに応えたものだった。「葬式仏教」は日本人の精神構造に沿ったものであった。その中で親鸞(1173~1263)は極めて異質な存在である。親鸞の思想とは「自由・平等・個人主義」という前衛的なものであった。しかしその思想もやがては日本人の精神構造に取り込まれることになる。

■革命家・親鸞

親鸞は鎌倉新仏教の先駆けとなった浄土宗の宗祖・法然(1133~1212)の弟子で、浄土真宗の宗祖である。浄土真宗は阿弥陀仏一仏のみを信仰の対象とする一神教に近い教えで、その他の、例えば日本古来より伝わる八百万の神々を仰ぐ必要はないとする「神祇不拝」、仏法を王法より上として天皇・将軍などの支配者を敬わない「国王不礼」を公然と掲げた。つまり日本古来の宗教的・世俗的権威を一切否定したのである。さらに親鸞は中世にあって「個人主義」を唱える。

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」(唯円著・「歎異抄」 末文)

これは自分だけが救われるといった意味ではなく、阿弥陀仏は常にその人その人の前に現れ、その人を救うという意味である。阿弥陀仏にあっては全ての人間は平等であり、そこに貧富、上下の差はない。親鸞にとって人間は皆、等しくかけがえのない「個人」であった。それ故、親鸞はこうも言っている。

「親鸞は弟子一人ももたず候」(「歎異抄」 第六章)

■伝統を壊そうとした親鸞

こうして親鸞は日本の伝統的な身分や上下関係、習俗、儀式儀礼などを解体しようとした。なぜそのような教えに至ったのか。

近代以前の身分制社会において、一部の富裕層以外の民衆は貧しく苦しい生活をおくっていた。彼らにとってこの世は救い無き苦界であった。

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