15歳にして「悪(にく)らしいほど強い武士!」となった鎌倉悪源太こと源義平の武勇伝(下) (3/4ページ)

Japaaan

古来、武士の稼業は「名を上げ身を立て御家を守り……」と言われるように、戦はもとより、貴族たちの「地下人(じげにん)」として犬馬のごとく働いて、その褒美に官位をもらうのが、武士たちのステイタスでした。

官位があれば武士どうしでの睨みが効き、いわば「御主人様の気に入れば、『奴隷の中では』偉くなれる」という状態。

現に父・義朝も、京都の世渡りに染まりつつありましたが、年若く生粋の坂東武者である義平は違いました。

「虚名の官位なんて要らねぇよ!俺は東国の戦場で勝ち取った『鎌倉悪源太』の二つ名で十分でぃ!」

原文:たゞ義平は東国にて兵どもによび付られて候へば、もとの悪源太にて候はん

他人に与えられるどんな官位よりも、自分の実力で勝ち取った「鎌倉悪源太」の異名こそ、己の恃みうる真実であり、坂東武者としての矜持でした。

しかし、その精神も藤原信頼には理解されず、油断しまくって平清盛らに逆襲され、父・義朝ともども敗れ去ってしまうのでした。

雷神となって敵を蹴り殺す!タダでは死なない悪源太

歌川国芳「布引滝悪源太打難波」江戸末期。
雷神となって復讐を遂げる義平の霊。

さて、あっさり降伏した藤原信頼は処刑されましたが、義平は義朝の命令で再起の兵を集めるべく、信州(現:長野県)方面へと向かいます。

しかし、義朝が尾張国(現:愛知県西部)で暗殺されると、父の仇をとるべく単騎で京都へ舞い戻ります。

「あの悪源太が、復讐にやってくる!」

そう震え上がった平清盛は京都の守りを厳重に固め、ついに捕らえられた義平は、六条河原で斬首されました。

時に永暦元1160年1月25日、享年20歳でした。

しかし、ここでもまた悪源太の勇猛さを示すエピソードが残されています。

「15歳にして「悪(にく)らしいほど強い武士!」となった鎌倉悪源太こと源義平の武勇伝(下)」のページです。デイリーニュースオンラインは、坂東武者源義平源氏武士カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る