島ではないのに「広島」とはこれ如何に?意外な人物が関わっていた、地名からみる広島誕生

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島ではないのに「広島」とはこれ如何に?意外な人物が関わっていた、地名からみる広島誕生

広島県、あるいは広島市―

島ではないのに「ヒロシマ」と発音し、「広島」と書きます。これはなぜでしょうか。

実は、現在の広島城周辺の市街地は古代にはそのほとんどが海中にあり、1400年ごろには、一帯に三角州が複数形成されていたといわれています。三角州とは、河川の上流から流れてきた土砂が堆積することによって形成される地形のことです。

広島という地名は、周辺を流れる太田川という川の堆積作用によって形成された三角州が、まるで海に浮かぶ島々のようにみえたことから生まれたと考えられています。

また、広島城を築城した毛利輝元(もうりてるもと)が、毛利家の祖先である大江広元(おおえ の ひろもと)と、元々広島にいた豪族で築城場所の選定にも携わった福島元長の名前から、一文字ずつとって広島としたとも伝えられています。

絹本着色毛利輝元像(毛利博物館所蔵) Wikipediaより

もともと輝元は、現在の安芸高田市にあった吉田郡山城を居城といていました。ところが、町と一体化した城の必要性を痛感し、築城場所を部下に検分させて造られたのが現在、史跡にも指定されている広島城です。

広島城の築城をきっかけに広島は城下として西国一の賑わいを見せ始めます。その頃から太田川下流域の干拓が進められ、さらに明治以降、中小河川が埋め立てられて現在の広島の地形が形成されていきました。

その後、太平洋戦争中に原爆投下を受け、広島市街地は草木一本はえないほどのダメージを受けてしまいますが、人々の努力によって復興し、三角州から始まったこの地域は現在120万もの人々が暮らしている大都市へと成長しました。

島ではないのに「島」とつく広島。元々は、三角州から由来しているのですね。

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