美しき女武者!木曾義仲と共に戦いその最期を語り継いだ女武者・巴御前の生涯(下) (2/5ページ)
京都周辺では作物が荒らされ、食糧もろくに残らぬ有様。京都じゅうの神社仏閣、民家が破壊され、朝廷への貢ぎ物すら奪われる始末……。
こうなると、木曾軍は「平家一門を追っ払ってくれたヒーロー」どころか「平家一門よりもたちの悪いインベーダー(侵略者)」に転落、たちまち嫌われてしまいます。
やがて義仲を討伐するよう鎌倉の頼朝公に命令が下され、義仲は頼朝公に派遣された源義経の軍勢と、宇治川を挟んで戦うことになります。
時は寿永三1184年1月20日、世に言う「宇治川の戦い」です。
宇治川・最後の戦い
歌川芳員『粟津ヶ原大合戦之図』にて、獅子奮迅の大活躍。江戸時代。
ここでも巴は攻め寄せる鎌倉勢の大軍を相手に一歩も怯むことなく戦います。
その豪傑ぶりに舌を巻いた敵将・畠山次郎重忠(はたけやまの じろうしげただ)が郎党に「あの女は何者か?」と訊いたところ、
「木曾殿の御乳母に、中三権頭が娘巴といふ女なり。強弓の手練れ、荒馬乗りの上手。乳母子ながら妾(おもひもの)にして、内には童を仕ふ様にもてなし、軍には一方の大将軍して、更に不覚の名を取らず。今井・樋口と兄弟にて、怖ろしき者にて候」
※『源平盛衰記』【意訳】義仲の乳母で、巴と言います。弓馬の達者で、義仲とは乳母ながら妾(愛人)でもあり、一方では大軍を率いる戦上手。今井兼平や樋口兼光とは兄弟で、彼らに劣らぬ怖ろしい女です。
(※巴の立場については年齢同様に諸説あり、義仲の側室だったり身分の低い妾だったり乳母だったり、などと曖昧です。