美しき女武者!木曾義仲と共に戦いその最期を語り継いだ女武者・巴御前の生涯(下) (5/5ページ)

Japaaan

愛する者の「語り部」として

楊洲周延「日本名女咄」より、巴御前と別れ、去りゆく義仲主従。明治時代。

巴が亡くなったのは『源平盛衰記』によると91歳、諸説ありますが寛元元1243年から建長四1253年の間となります。

建長年間と言えば、鎌倉幕府の将軍は6代目・宗尊親王(むねたかしんのう)、同じく執権は5代目・北条時頼(ほうじょう ときより)と、そんな時代。

もはや源平合戦など遠い昔の物語、義仲や頼朝公の挙兵当時を知る者とて、ほとんど生き残ってはいません。

ところで、かつて義仲は別れ際、巴にこう言いました。

「我去年の春信濃国を出しとき妻子を捨て置き、また再び見ずして、永き別れの道に入ん事こそ悲しけれ。されば無らん跡までも、このことを知らせて後の世を弔はばやと思へば、最後の伴よりもしかるべきと存ずるなり。疾く疾く忍び落ちて信濃へ下り、この有様を人々に語れ」
※『源平盛衰記』より。

【意訳】去年の春、信州に残して来た妻子と二度と会えないのは無念である。私のことを想うならば、今ここで私と共に討死するより、信州に帰って妻子や人々に私の最期を語り伝えて欲しい。

かつて信州木曾の英雄として、天下にその名を轟かせた義仲の名を不滅のものとするべく、後世へ語り継ぐこと。

そう使命を帯びた巴は、命の限り人々へ語り続けたことでしょう。

かつて義仲と共に駆け巡った戦場での武勇伝や、未来の希望に胸沸かせた日々の物語と共に。

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