この差はなぜできた!?江戸の将軍は15代続き、鎌倉の将軍はわずか3代で断絶! (2/2ページ)

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源頼朝の妻・政子の実家である北条氏により執権政治が確立されましたが、その後も元寇があり、また後醍醐天皇による倒幕運動もあり、ついに元弘3/正慶2(1333)年5月、鎌倉幕府は滅亡してしまいます。

もし、鎌倉幕府の将軍がしっかりとした後継者を確保できていたら、歴史は変わっていたかもしれませんね。

徳川御三家の目的とは?

しかし、江戸幕府にも「お家断絶の危機」が全くなかったわけではありません。例えば「史上最年少で将軍となり、史上最年少で死去した将軍」といわれる7代将軍・家継は、満7歳に満たない幼さで亡くなってしまいました。

幼い家継に子供がいるはずもなく、この時も将軍の後継者をめぐりすったもんだの挙句、8代将軍・吉宗が就任したことは、歴史好きな皆さんならご存知の通りです。

この時に徳川家を「お家断絶」から救ったのは、「御三家」の存在でした。家康は、万が一にも将軍家に後継者となるべき男子がいなくなる事態に備え、自身の九男・義直(尾張徳川家)、十男・頼宣(紀州徳川家)、十一男・頼房(水戸徳川家)を、家康の直系の大名である「親藩」の中でも最高位とし、

「将軍家に後嗣が絶えた時は、尾張家か紀州家、または水戸家から養子を出す」

と決めたのでした。

後に8代将軍となった吉宗によって、その御三家の後継者を確実にするための「御三卿」も立てられました。江戸幕府が長い間存続できた背景には、このような工夫があったのですね。

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