この差はなぜできた!?江戸の将軍は15代続き、鎌倉の将軍はわずか3代で断絶! (1/2ページ)
明暗が分かれた「2つの幕府」
江戸時代といえば、それまでの戦国時代と違い「太平の世」と呼ばれる戦乱のない時代が200年以上にわたって続きました。徳川家康が江戸幕府を開いてから慶應3(1867)年11月9日の大政奉還まで、江戸幕府の将軍は15代にも及びました。
一方、鎌倉幕府の将軍は源頼朝・頼家・実朝の3代までで嫡流が途絶え、幕府滅亡まで遠縁にあたる親王や摂関家から将軍を迎えていたものの、実際には執権・北条氏の天下となりました。
江戸幕府と鎌倉幕府は、なぜこのように存続自体の明暗がはっきりと分かれてしまったのでしょうか?
そこには、用意周到に後継者輩出のための備えをした徳川家康と、一族同士で次々と殺し合いをしてしまった源氏の違いがありました。
鎌倉幕府の将軍の嫡流がたった3代で途絶えてしまった原因は、「鎌倉右大臣」としても知られる3代将軍・源実朝に実子がなかったためでした。実朝は兄・頼家の子で甥にあたる公暁を猶子(兄弟・親類や他人の子と親子関係を結ぶこと)として迎えていましたが、なんとその公暁に暗殺されてしまったのです。
これ以前にも、幕府内での内紛は絶えず、一触即発の状況が続いていました。幕府が成立したとはいえ、鎌倉時代はこのような武力による紛争が絶えない時代だったのです。
