田中角栄「名勝負物語」 第二番 福田赳夫(8) (1/3ページ)

週刊実話

 「アニ(新潟のお国言葉で跡取り息子をこう呼んだ)に注文なんて、ございませんよ。人さまに迷惑をかけちゃならねぇ。この気持ちだけだな。これだけありゃ、世の中、しくじりはござんせん。他人の迷惑は関係ねぇです。働いて、働いて、精一杯やって、それでダメなら帰ってくればええ、おらは待っとるだ。

 総理大臣がなんぼ偉かろうが、そんなこと関係しません。人の恩も忘れちゃならねぇ。はい、苦あれば楽あり、楽あれば苦あり、政治家なんて、喜んでくれる人が七分なら、怒っている人も三分はある。それを我慢しなきゃ。人間、棺オケに入るまで、いい気になっちゃいけねえだ」(『文藝春秋』昭和47年9月号=要約)

 平素から、「人間は“引き際”が肝心だ」と口にしていた田中角栄の母・フメは、田中が世論から大歓迎で迎えられた首相就任直後、インタビューにこう答えた。貧しい子供の頃から、田畑仕事で一家を支えた母のうしろ姿を見て育った人一倍、母親想いの田中ゆえ、「角栄よ、デカいことをいうでねぇ」と題したこの記事を読み、子を思う母を浮かべて人知れず号泣したことは容易に想像できる。

 それからわずか2年ほどで金脈・女性問題をキッカケとしての首相退陣、さらに続くロッキード事件の表面化でズタズタになった田中は、とりわけ後者を「潔白」としてその汚辱を晴らしての「復権」に全精力を注いだ。そのためには、自民党内の支持基盤が大事と、派閥の増強になり振りかまわぬ体であった。自民党内から「闇将軍」との声が挙がったのも、この頃である。

 一方、自民党内では「ポスト田中」を巡って熾烈な争いが演じられていた。有力候補は田中の「盟友」大平正芳と、「角福総裁選」に敗れて再起を期す福田赳夫の二人であった。大平は田中派の全面支持、三木派も反福田色が強く、総裁選での決着を主張した。

 しかし、一方の福田は総裁選となれば不利が明らかだったことから、総裁選では派閥対立が激化することに加え、田中のスキャンダラスな退陣を引きずっていることで民意が党から離れることを理由に、話し合い決着を譲らなかった。福田、大平両派の後継争いはますます激しくなり、自民党はあわや分裂かという危機的状況を迎えたのだった。

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