矢沢永吉と長渕剛、反逆の二大カリスマ「男気感動秘話」栄光と挫折 (2/5ページ)
ライブは何千回も拳を突き上げる出稽古の様相を呈し、『勇次』という曲で一斉にクラッカーを鳴らすことが伝統になっている。ファンの熱量において両者は、まさに日本を代表するカリスマなのである。
■ロックスター、フォークシンガーを目指して
では、両者の生い立ちとデビューから、共通点と違いを探ってみたい。矢沢永吉は1949年に広島で生まれた。被爆した父と幼い頃に死別し、極貧の少年時代を過ごしていた矢沢を救ったのが、ラジオから流れてきたビートルズの曲だった。高校卒業と同時にロックスターを目指して故郷を離れ、横浜でバイトをしながらバンド活動をスタートさせた。
一方、長渕剛は1956年に鹿児島で生まれた。父親は警察官だったが、四畳半に一家4人が生活する貧乏暮らしだった。高校生の頃に吉田拓郎のコンサートを観たことでフォークシンガーを目指すようになり、大学時代は場末のバーで歌い続けたが、泥酔客から「演歌をやれ!」と罵声を浴び続ける劣悪な環境から、キャリアをスタートさせている。
矢沢もデビュー前はキャバレーやゴーゴークラブでどさ回りをしていたが、1972年に『キャロル』を結成すると、快進撃が始まる。歌謡曲とフォーク中心だった当時の音楽シーンに彗星のごとく現れたキャロルは、リーゼントに革ジャンという不良スタイルで、瞬く間に人気バンドになるのだ。
これとは対照的に長渕のデビュー時は、長髪のナイーブなフォーク青年といった印象だった。1977年にデビューしたが、名前を「ながぶち・ごう」に変えられ、演歌歌手として売り出されたことに納得できず、いったん故郷の九州に戻り、“半引退状態”になる。翌年、『巡恋歌』で見事再デビューを果たしているが、長渕の神髄である“負け犬が闘志をむき出しにするかのようなメッセージ性”は、デビュー当時の挫折体験が少なからず影響しているはずだ。