矢沢永吉と長渕剛、反逆の二大カリスマ「男気感動秘話」栄光と挫折 (3/5ページ)

日刊大衆

 それに比べ、矢沢は確かにキャロルで順風満帆のスタートを切ったかに見えるが、メンバーとの確執により、わずか2年半で解散することになり、1975年にソロデビューしている。しかし、キャロル時代の意匠を全否定するかのようなバラード中心の曲構成に、ツアーの評判は惨憺たるものだった。

 矢沢の自伝『成りあがり』には、〈一回目、散々な目に遭う。二回目、落としまえをつける。三回目、余裕。〉の名言があるが、このメッセージは、ソロデビュー時に辛酸を舐めた経験から生み出されているのだ。矢沢はこの言葉通り、その後、『時間よ止まれ』と『成りあがり』がミリオンセラーとなり、きちんと“落としまえ”をつけたのである。

 長渕もまだ無名に近かった頃、吉田拓郎のコンサートに特別出演し、観客から「帰れコール」を浴びるという散々な目に遭っている。しかし、翌年リリースした『順子』がオリコンチャートの1位を獲得し、一躍トップシンガーの仲間入りを果たした。しかし、そこに安住しないのが長渕という男である。

■焼酎や消毒薬の原液で何度もうがいを

 それまでの長渕は、透き通った歌声でラブソングを歌っていたが、自分が作りたい楽曲との乖離に悩まされるようになり、焼酎や消毒薬の原液で何度もうがいをし、歌手の命とも言える声帯を焼き切ろうとしたというからすさまじい。現在のしゃがれた歌声は、歌唱法を変えて歌い続けたことによる後天的なものなのだ。

 商業的成功に安住せず、さらなる高みを目指す点では、矢沢も一切妥協しない。80年代に入ると、矢沢はアメリカ西海岸に活動拠点を移し、世界進出に挑んだ。念願の世界デビューを果たし、ロック界の大御所として精力的に活動していたかに見えるが、自伝『アー・ユー・ハッピー?』では、こう回想している。

〈矢沢が一番光っている時代から、だんだん仙人のようになっていった時代だ。さびしかった。このまま消えていくだろうと思うと、それは辛かった〉 アメリカに活動拠点を移し、ほとんどテレビ出演しなかったこともあり、当時の矢沢は時代の潮流に取り残されてしまっていた。

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