塚本晋也「時代への不安感がある。僕なりに斬り込まなきゃ……。」斬る人間力 (1/2ページ)
今、時代がきな臭くなっている危機感があります。
前作『野火』では圧倒的な戦争の恐ろしさを描きたいと思いました。
映画を撮る前に戦争を体験した方々にインタビューしてお話を聞いたんです。体験者は100%二度と戦争には行きたくない、戦争を起こしてはならないと言います。それくらい皆さんのお話は恐ろしいものでした。そこにはヒロイズムも美学もなく、若くて未来のある人たちの体と精神が無残に破壊されるか、生き残ったとしてもケダモノのようになるかの選択しかない世界でした。
こんな話も聞いたことがあります。ふだんは優しかった人が、上官の命令で捕虜を刺殺したとき、ズドーンと腹の底に響く充実感があったようなんです。そこからは人を殺すことが平気になり、戦地で活躍する殺人者になっていく……。
戦争とはこういうものだけど、日本はそこに近づいていいんですか?という気持ちで作ったのが「野火」でした。
戦場ではたくさんの兵器が使われるけど、今回の作品『斬、』(ざん)では、兵器を一本の刀にギューッと凝縮させて、よりテーマをクッキリさせたいと思ったんです。人間と、暴力を発動しうる道具との関係性。その根源に迫りたいと思いました。
時代劇は、長い間、いつかは作りたいと思ってきました。
映画では、中学生のときに見た市川崑監督の『股旅』(またたび)が好き。70年代の若者がそのまま江戸時代に行っちゃったような生々しさがあるんですよね。それが僕にとっての時代劇の洗礼で、時代劇をやるならああいう感じがいいなあ、とずっと思っていたんです。
1970年代にテレビで放送されていた『新・座頭市』にも心酔していて。圧倒的に芸術的な時代劇でした。特に勝新太郎さんが監督している回が、非常に感覚的で素晴らしかったです。
■この悲鳴が届いたらいいな。
『斬、』で描くのは、江戸時代末期の浪人。武士だから人を斬る覚悟はできてはいるものの、いざとなったとき、斬ることに躊躇する浪人がいたんじゃないか、と想像したのが始まり。その葛藤を描きたかった。