プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ハーリー・レイス」NWA王座の権威を守った“キング・オブ・キングス” (1/2ページ)

週刊実話

 今ではローカルタイトルに成り下がった感のあるNWA世界ヘビー級王座。だが、少なくとも80年代までは紛れもない世界最高峰のベルトであり、同王者は誰もが一目置く存在としてプロレス界に君臨していた。
 そんな中でも“キング・オブ・キングス”と称されるのが、ハーリー・レイスである。

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 第二次世界大戦後の1948年、プロレス界復興のためアメリカの有力プロモーターたちが中心となってNWA(ナショナル・レスリング・アライアンス=全米レスリング同盟)が創設された。その加盟団体はカナダ、メキシコ、日本にまで広がり、コミッショナーにより認定されたNWA世界ヘビー級王者は“全世界プロレスラー3000人の頂点”とも称された。

 なお、記録上の初代王者は1905年に戴冠したフランク・ゴッチとなっているが、これは同王座に権威付けするための処置で、実質的には戦前から活躍したオービル・ブラウンが初代である。それ以前の王者はいずれも当時の有名選手を並べただけだった。

 そんなNWA王者の中でも歴代ナンバーワンは誰かとなれば、真っ先にハーリー・レイスの名前が挙がるのではないか。
「長期政権を築いたということでは、ルー・テーズやリック・フレアーも同等でしょうが、テーズに関してはその全盛時を知るファンは極少数でしょうし、往年の映像もほとんど残っていない。また、フレアーはそもそもレイスの作り上げたスタイルを踏襲した面が見られますからね」(プロレスライター)

 この頃のNWA王者は、アメリカ国内はもちろんのこと、世界中の提携団体を渡り歩き、連日の防衛戦をこなしていた。唯一の王者だけに簡単には欠場できず、そんなハードスケジュールを消化することが最大の仕事でもあった。

 対戦相手はいずれも一世一代の晴れ舞台とあって目いっぱいに仕上げてくるのが常であり、これと真っ向からぶつかっていたのでは体がいくつあっても持つわけがない。なので、それなりの戦い方が求められた。
「ダーティチャンプの元祖としては、40年代に全米で人気を誇ったバディ・ロジャースが有名で、こちらはわざと反則負けを食らうことも多かったようです。

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