極限で問われる武士の真価!テロに屈せず人質も見殺しにしない源頼信が示した「兵ノ威」とは(下)

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極限で問われる武士の真価!テロに屈せず人質も見殺しにしない源頼信が示した「兵ノ威」とは(下)

前回のあらすじ

時は平安、上野国(現:群馬県)に赴任していた藤原兵衛尉親孝(ふじわらの ひょうえのじょう ちかたか)。

ある日、家に忍び込んだ盗人を捕らえたものの、逃げられた挙句に息子を人質にとられ、手が出せなくなってしまいます。

困り果てた親孝は、上司である源上野介頼信(みなもとの こうづけのすけ よりのぶ)に助けを求めたのでした。

前回はこちら

極限で問われる武士の真価!テロに屈せず人質も見殺しにしない源頼信が示した「兵ノ威」とは(上)

「この頼信を信じて、刀を捨てよ」

さて、太刀を一振り持って現場に到着した頼信は、盗人が親孝の息子を人質にとって立てこもる物置小屋(壺屋)を確認します。

菊池容斎『前賢故実』より、源頼信像(一部)。

「上野介様だ!上野介様が来られたぞ!」

すると盗人は、その顔色がみるみる青ざめてしまいました。

それもそのはず、かねてより文武に名高く、鬼神も恐れぬ豪傑として知られた源頼信が来たとなれば、人質などお構いなしに、自分を殺しに来るかも知れません。

もうダメだと震え上がった盗人は、いよいよテンパって息子に刃を突きつけます。

「く、来るな!こ、こいつがどうなってもいいのか!」

すっかり泣き疲れていたであろう息子も、また怖くなって大声で泣きわめきますが、そんな事で動じる頼信ではありません。

頼信は盗人に訊ねます。

「そなた、その童を人質にとったのは、そなたが助かりたいためか。それとも単に、その童を殺したいためか……申せ」

【原文】「汝(なむぢ)ハ、其ノ童ヲ質ニ取タルハ、我ガ命ヲ生カムト思フ故カ、亦(また)、只童ヲ殺サムト思フカ。慥(確か)ニ其ノ思フ所ヲ申セ、彼奴」

静かに、しかし有無を言わさぬ威厳をもって発せられた頼信の問いかけに、すっかり萎縮しながら盗人は答えます。

「別にこんなガキ、殺したい訳ないじゃないですか。ただ私は死にたくない、生き延びたいと思うから、一縷の望みを賭けて人質をとっただけです」

【原文】「何(いか)デカ児ヲ殺シ奉ラムトハ思給ヘム。只命ノ惜ク候ヘバ、生カムトコソ思ヒ候ヘバ、若(もし)ヤトテ取奉タルナリ」

そりゃそうだろうな……という事で、頼信は盗人に「解決策」を提示します。

菊池容斎『前賢故実』より、源頼信の鋭い眼光。

「よし……それなら、悪いようにはせんから刀を捨てよ。この頼信が『捨てよ』と言うからには……解って居ろうな……この頼信を信じて、刀を捨てよ

【原文】「ヲイ、然ルニテハ其ノ刀ヲ投ゲヨ。頼信ガ此許(かばかり)仰セ懸ケムニハ、否投(えなげ)デハ不有(あらじ)。汝ニ童ヲ突セテナム、我レ否見(えみ)マジキ。我ガ心バヘハ自然(おのづか)ラ音ニモ聞クラム。慥ニ投ゲヨ、彼奴」

刀を捨てて、人質を解放すれば、命は助けてやる。

そうは言われても、刀を捨てたら、約束を反故にされてしまうかも知れない。

盗人は暫し逡巡しましたが、結局は頼信を信じることにしました。

「ありがとうございます。頼信様がそう仰せなら、どうして背くことがありましょうか」

【原文】「忝(かたじけな)ク、何(いか)デカ仰セ事ヲバ不承(うけたまはらで)ラ候(さふら)ハン。刀ヲ投ゲ候フ」

そう刀を投げ捨てると、息子を解放したのでした。

「今度こそ、まっとうに暮らせよ」

さて、頼信は家来たちに命じて盗人を捕らえて引き出させました。

大切な息子を殺そうとした極悪人ゆえ、親孝は斬り捨ててくれようと息巻きますが、頼信はそれを制して言いました。

「こやつはこの頼信を信じて息子を解放したのだから、約束を反故には出来ない。そもそも盗みをはたらくのは貧しいからであり、人質をとったのは助かりたいからであって、憎む事でもない。結局、息子は無事だったのだから、今回ばかりは赦してやる。道中、何か入用な物はあるか?」

【原文】「此奴、糸(いと)哀レニ此ノ質を免シタリ。身ノ侘シケレバ盗ヲモシ、命ヤ生(いかむ)トテ質ヲモ取ニコソ有レ。悪(にく)ガルベキ事ニモ非ズ。其レニ、我ガ「免セ」ト云ニ随テ免シタル、物ニ心得タル奴也。速(すみやか)ニ此奴免シテヨ」、「何カ要ナル。申セ」

こう聞いて、盗人は感涙にむせぶあまり、何も言えなくなってしまいます。

そこで頼信は家来に命じます。

「よし、こやつに食糧を少しくれてやれ。それと、盗みの報復を受けるかも知れないから、厩の駄馬に鞍を載せたものと、弓矢も一揃いくれてやれ」

罪を赦したばかりか、そもそも盗みをするのは飢えたゆえ、と食糧を与え、更には報復を受けない場所まで身を護れるよう、馬や武具までくれてやる始末。

イメージ。

盗人の恐れ入りようは、察するに余りあります。

「その食糧がある内にまっとうな仕事を見つけて、今度こそ全うに暮らせよ……さぁ、早く行くがいい」

【原文】「此ヨリヤガテ馳散(はせちら)シテ去(い)ネ」

盗人は頼信に礼を言い、親孝父子に詫びると、そのまま駆け去っていったのでした。

その後、盗人がどうなったかは誰も知りませんが、命の助かった親孝の息子は、金峰山(みたけ。現:奈良県吉野郡・金峯山寺?)で出家して明秀(みょうしゅう)と名乗り、修行を積んだ末に阿闍梨(あじゃり)となられたそうです。

非情と慈悲の両極端・武士の「中庸」とは

こうして頼信は人質の命も盗人の命も救ったのですが、これが成功したのは、頼信が示した「兵(つはもの)の威」あってのことでした。

イメージ。

盗人が、その名を聞いただけで戦意を喪失し、観念してしまうほど武勇にすぐれていたことに加えて、頼信が「命を助けてやる」と言えば、親孝のように殺意を持った者がいても制することのできる威厳、そして「そもそも盗みをするのは貧しいからだ」と罪を赦せる慈悲。

これらを総括して、当時は「兵(つはもの)の威」と称し、それを感じたからこそ、盗人は頼信を信じて刀を投げ捨て、人質を解放したのでしょう。

一方では「子供など、足手まといなら殺させてしまえ」と言い放つ非情さと、盗みをはたらくまでに追い詰められた人民に対する慈悲深さ。

これらは決して相反するものではなく、武士にとっての「中庸」とは、最初から両極端を足して二で割った「平均値」ではなく、両極端のいずれにも対処できる柔軟さを意味します。

「If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.」
(タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない)
※レイモンド・チャンドラー『プレイバック』より。

かつて武士たちが理想とした「兵の威」は、戦乱のない現代にあっても、平和や大切な者を守るため、大切なことを私たちに教えてくれます。

※参考文献:小峰和明 校注『今昔物語集 四』岩波書店、1994年11月21日、第1刷

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