バイク事故、暴行事件、独立騒動…ビートたけしとたけし軍団「師弟愛の絆」35年史 (4/5ページ)

日刊大衆

2人は“このまま遠くに逃げよう”と思ったそうですが、覚悟を決めて会場のたけしさんの楽屋に行ったそうです。すると、たけしさんは、“お前ら、ここまで生きた心地しなかったろ。よく分かるぜ。だから、もう十分だ。ただ、二度とこの気持ちを忘れるんじゃねえぞ”と言ったそうです。殴られてもクビにされても仕方がないと覚悟していた2人は、たけしさんの大きさに感動したといいます」(前同)

■フライデー襲撃事件勃発

 濃密な時間を共にすることで絆を深めていった、たけしと軍団。両者の絆が分かつことができないまでに強固になったのは、86年のフライデー襲撃事件だった。当時、取材に奔走していた芸能記者が言う。「フライデーに限らず、写真週刊誌に執拗に愛人と私生活を追い回されていたたけしさんは、“オレはいいけど、オネーチャンは素人なんだから勘弁してくれ”と、取材陣にたびたび申し入れていました。それでも、当代随一の人気者ですから、取材攻勢が止むことはなかった。それで、ついにキレてしまったんです」

 その日、深夜3時近く、麹町にあるマンションから、たけしと軍団11人がタクシーに分乗し、『フライデー』の発行元である講談社に直談判に出かけた。「最初は話し合いをするというスタンスだったんですが、編集部に入ると、売り言葉に買い言葉でエスカレートしてしまい、乱闘になったそうです。乱闘開始から5分後、たけしさんと軍団は駆けつけた大塚署の警官に現行犯逮捕されます。ちなみに、たけしさんが消火器を持って暴れたというのは間違いで、軍団メンバーの一人が一度、消火器を手に持ったというだけです」

 大塚署に連行される道中、たけしは軍団にこう呟いたという。「悪かったな……。お前らの面倒は一生みるからな」

 この師匠の言葉は、軍団全員の心に突き刺さったはずだ。「軍団メンバーは皆、“たけしさんのためなら死ねる”と思ったと言います。事件以降、たけしさんと軍団の信頼関係は絶対のものになったはずです」(前出の当時を取材した記者)

 事件の後、7か月の謹慎生活を送ったたけしの傍らには、もちろん軍団の姿があった。「“この謹慎の時期が一番楽しかった”と懐かしむ軍団メンバーもいます。

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