江戸時代の防寒どうしてた?実は羽織は男性専用だった。町人女性の「上着」の種類あれこれ (2/3ページ)

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そんな芸者たちが「男勝り」に男物の羽織を羽織ったことから、粋でかっこいいと真似する女性があらわれます。

しかし着衣の乱れが風紀を乱すということで、幕府からたびたび着衣を禁じられました。

ちなみに武士も裃など礼装以外で町を出歩くときなどに羽織を着ていました。素材や織りには決まりごとがあり、四月は袷の上に縮緬、五月は単の上に絽、六月は帷子の上に紗でした。

じゃあ女性は何着てた? 半纏(はんてん)

着衣を禁じられた女性が、羽織の代わりに定番としたのが半纏。元は職人や鳶の者の日常着でした。江戸後期になって黒襟の綿入れ仕立てにして、防寒着としました。両脇に襠(まち)がないので窮屈羽織とも呼ばれました。

袖頭巾

『十二月ノ内 霜月酉のまち』(嘉永7年 歌川豊国)

片袖形の頭巾は元は僧侶が被り始めたもので御高祖頭巾とも呼ばれました。素材は縮緬などが使われました。さらに手ぬぐいを上から巻き付けて飛ばないような工夫も。江戸時代に女性の髷の多様化が進み、髪型を崩さずかつ手軽に防寒できるという物で定番に。現代で言うとマフラー代わりですね。

褞袍(どてら)

さらに半纏よりも分厚い綿入れが褞袍。こちらは外出用ではなく主に部屋着。上方では丹前と呼ばれました。

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