江戸時代の防寒どうしてた?実は羽織は男性専用だった。町人女性の「上着」の種類あれこれ (3/3ページ)
『今様三十二相 さむ相』(歌川豊国)
道行・道中着道行きは、額縁状に襟が空いた四角い和服用コートのこと。道中着は体の前で左右の見ごろを合わせてやや体の脇で紐で留める上着です。羽織とは異なりあくまで外出着なので、部屋の中に入るときには脱ぐのが礼儀です。
原型はポルトガル人やスペイン人宣教師が渡来した際、着ていたマントを真似て考案された合羽から。寛文の時代に考案されたといいます。
袖のない丸合羽と、袖をつけて前を打合せにした袖合羽がありました。羽織りや半纏と違うのは、襟が立っていて首元が暖かいということですね。
『十二月の内 極月』(嘉永5年 歌川豊国) この遊女は客の合羽を着ているのでしょうか?
現代のような形になったのは、明治中期の28年~29年頃、女性用外出着として、東(あずま)コートが始まりとされています。
現在の道中着(写真提供:photo AC)
いかがでしょうか。袖も襟もスースーする着物ですが、江戸時代は様々な工夫で寒さを凌いだようですね。これからお正月になり和装する事も増えると思いますが、現代のマナーでは室内で羽織は脱がなくてもいい、道行きや道中着・和装コートは脱ぐ、と覚えておくと便利です。
参考文献:『浮世絵に見る日本の二十四節気』藤原千恵子(河出書房新社) 参考サイト:風俗博物館日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan