五木寛之×椎名誠「僕たちはどう死ぬるか」(8)美田を残さず心の相続をする (3/4ページ)
五木さんの作品の『蒼ざめた馬を見よ』じゃないですが、途方に暮れた世代っていう感じです。
五木 ぼくらの世代は覚悟してお国のために死ぬんだということを疑わずにいた。戦後になってもぼくは40歳まで生きるとは思っていませんでした。両親も早くに亡くなってましたから。
椎名 ぼくも42歳で死にたかったんです。ぼくが尊敬していた柔道の先生が42歳で急死したからです。で、自分が物書きになってやたら忙しい時期にふと気がついたら45歳になってて、かつて憧れた死ぬ年齢を通り過ぎてた。そしてその次のターゲットにしたのが60歳でした。60になると相当身体もガタがきて、果たして本も売れるかどうかわからないから、60ぐらいでフェードアウトしていくのもいいなあなんて思っていたんです。39歳のときに日中共同楼蘭探検隊というのに加えてもらって、タクラマカン砂漠の中にあるロプノールと楼蘭に行きましたが、そのときに指導してくれたのが早稲田大の長澤和俊先生で、当時先生は60歳。ぼくらは先生の年齢でこれからの過酷な旅は大丈夫だろうかなんて話してたんですけど、自分もいつの間にか60歳を超えてしまってて、当時あんなことを思って失礼しちゃったなあと思いましたね。あのときに思ってた60歳を、いま自分が越してみると、どうっていうことないんだというふうに実感しましたね。
五木 通り過ぎてみるとそうなんだよ。いま平均寿命が延びて長く生きてるというのは、まったく地図のない旅をしてるようなもので、羅針盤のない航海をしているような感じですよね。長生きしたいとか思わないけど、世界や日本がこれから先どういうふうに変わっていくだろうかというのを見たいという好奇心はありますけど。
椎名 そうですね。地図のない旅を生きたいという気分ですね。
五木 よく今日まで生かされてきたものだ、ありがたいという気持ちはやはりありますよ。