関脇・貴景勝インタビューで大いに語る!「初優勝の実感はまるで湧かなかった」

日刊大衆

関脇・貴景勝インタビューで大いに語る!「初優勝の実感はまるで湧かなかった」

 昨年11月の九州場所、わずか22歳で初優勝を遂げたのが、当時、小結だった貴景勝である。

 埼玉栄高在学中の18歳のとき、貴乃花部屋に入門。貴乃花親方の厳しい指導の下、着実に番付を上げてきた。貴乃花部屋は昨年10月に消滅し、所属部屋は千賀ノ浦部屋に変わったが、貴景勝に根づいていたのは、やはり貴乃花の魂だった。

 初優勝で注目度を上げ、初場所では関脇に昇進。一躍「大関候補」に名乗りを上げた貴景勝。今場所に懸ける熱い思いを聞いた。

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貴景勝光信(たかけいしょうみつのぶ) 本名=佐藤貴信。1996年8月5日、兵庫県芦屋市出身。175センチ、170キロ。2014年、貴乃花部屋に入門。同年九州場所、本名の「佐藤」の四股名で初土俵。17年初場所で新入幕し、現四股名に改名。18年初場所で新小結に。同年、九州場所で初優勝。翌19年の初場所で関脇に昇進した。

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――昨年12月17日には、母校・埼玉栄高に凱旋されましたね!

貴景勝(以下、貴) ハイ! 最寄駅の西大宮駅から高校までオープンカーに乗ってのパレードは、知っている人も手を振ってくれたりして、恥ずかしかったです(笑)。パレードの後は、体育館で中学、高校の生徒が(約3000人)集まって、その前で優勝の報告をさせていただきました。

 埼玉栄の相撲部で練習をしていた15歳からの3年間があるから、今の自分があると思っているので、特に思い入れが強いんです。

――具体的に、どんなことを教わったんでしょうか?

貴 相撲部を指導してくださっている山田(道紀)先生は、相撲の練習だけでなく、生活も共にしていたので、教わることばかりなんですが、その中でも印象深いのが、「一寸先は闇」という言葉。たとえ良い成績を残しても、翌日ケガして、突き落とされるかもしれない。だから、「調子に乗ってはいけないんだよ」と。まだ自分は、それを実践できていないように思ってるんですけどね(笑)。

――いえいえ、勝っても負けても表情を変えない貴景勝関は、常に平常心を保っているように見えましたが。

貴 もともとは、“勝ったらうれしい‼負けたら悔しい‼”という性格なんです。高校時代は、勝負は一日で終わるから、勝ったら喜ぶ、でも良かったんですけど、プロになれば本場所は15日間ありますからね。勝っても負けても明日がある。だから、気持ちを一定に保つことが大事だと感じます。今は、勝ったら良かったとは思いますが、“やった‼”とは思わないですね。ただ、ちゃんと平常心が保てるようになったのは、夏場所以降からですね。

《横綱・白鵬鶴竜が初日から休場した九州場所。貴景勝は初日、稀勢の里(4連敗して途中休場)を破って、その後6連勝。7日目、関脇・御嶽海に敗れたものの、1敗をキープ。14日目、大関・髙安に敗れて2敗となり、千秋楽は髙安、貴景勝の2敗同士の優勝決定戦になるかと思われた。しかし、結びの一番で、髙安が御嶽海に敗れ、その瞬間、貴景勝の初優勝が決まった。》

――優勝が決まった瞬間は、どこにいたんですか?

貴 自分の取組(錦木戦)は3番前に終わっていたので、支度部屋に戻って、優勝決定戦に向けて、心の準備をしていました。(支度部屋にある取組を映している)テレビモニターはあえて見なかったです。髙安関は前日、自分が負けた相手。それも自分の詰めが甘くて敗れてしまったので、「昨日の反省を、生かさないと……」と考えていたんです。だから、優勝決定は付け人から知らされたんですよ。

――優勝を聞いたときは、どんな気持ちでした?

貴 10日目が過ぎたあたりから、周りの方々からいろいろ言っていただいて、「優勝」を意識するようにはなりました。ですが、「そんなにうまくはいかないだろう」というのが本心でした。それでも1敗のまま日々が過ぎていって、結果13勝、優勝。うれしい気持ちはあるんですが、まるで実感が湧かなかったですね(笑)。

■厳しい特訓の中で父から与えられた金言

――その後の優勝インタビューでは、堂々とした受け応えぶり。特に「父親と一緒にやってきたことが、少し結果になってよかった」というコメントは、父子での相撲に懸ける思いが伝わってきて、感動しました。

貴 ありがとうございます! 父とは小さい頃からずっと一緒に相撲に取り組んできました。小学校3年までは地元(兵庫県芦屋市)近くで極真空手をやっていたんですが、いろいろ考えることがあって(笑)、それから相撲に転向したんです。

 でも、自分は当時30キロくらいしかなくて、すごく小さかったんですよ。「こんなに体が小さい子が相撲で強くなれるわけがない」みたいなことを言われて、それから、父親から、ハンバーグや牛丼をたくさん食べるミッションを言い渡されて、体を大きくしていきました。正直、つらかったですね(笑)。でも、そのおかげで体重は2年間で40キロ近く増えて、相撲が面白くなってきたんです。

 それで、小4から小6までは貴乃花親方が指導する、東京にある「キッズ貴乃花」という少年相撲クラブにも通っていたんです。兵庫から東京までですからね。両親には本当に感謝です。

――お父様の特訓はかなり厳しかったようですが、続けてこられた理由とは?

貴 ただ「やれ!」と言われるだけじゃ反抗したかもしれませんが、小さい頃から、父は何のために今、キツい思いをさせているのか、説明してくれたんです。

「プロで失敗してサラリーマンやるのか、この15年はキツくても、30年、大好きな相撲の世界で楽しく生きるのか。将来、プロになるため、今、耐えるんや!」

 と、よく言っていました。だから子どもなりに納得して父についていけたんです。

――そうした努力が実り、小学4〜6年では「わんぱく相撲全国大会」で3年連続入賞(3位以内)。中学3年時には中学横綱に。卒業後、大相撲入りも視野にあったとか?

貴 自分は中学を卒業したら、すぐにでも貴乃花部屋に入りたいと思っていたんです。その際、埼玉栄高の山田先生から、「将来、大相撲の世界で活躍したいのなら、ウチに来なさい」という言葉をいただいたんです。相撲部で心身ともに鍛えてもらったことで、高校時代も成績を残すことができました。親元を離れましたけど、たくさんの仲間と一緒に相撲と真剣に向かい合える時間ができたことは本当によかったと思っています。

 現在発売中の『週刊大衆』1月28日号では、続けて貴景勝のインタビューを掲載。昨年12月21日に行われた冬巡業・大相撲川越場所での貴景勝のチャーミングな姿などを特集している。

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