将軍・殿様の「正室と側室」奇妙な真実(5)3代家光は春日局の子だったのか? (1/3ページ)
そんな家光は、お江の子ではなく、春日局の子ではないかという説がこれまでもずっとあった。それなら春日局が家光を命がけで守ったことも、家光が彼女を母のように慕っていたことも、すっきりと納得がいくのだが‥‥。
「江戸城の紅葉山文庫に『松のさかえ(栄え)』という東照宮御文の写しが保管されていて、その中に『秀忠公御嫡男 竹千代君 御腹 春日局』とはっきりと書かれています。さらにお福(春日局)の縁戚に伝わる『御家系典』にも『竹千代を産む』と記録されています。しかしこれ以外にはないことと、写しであること、徳川家の正史をはじめ、その他の文書には家光はお江の息子だと疑いもなく書かれていることで、今の歴史学会では認められていないのです。しかし最近、九州大学の福田千鶴教授の論文によれば、秀忠が江戸にいる時にお江は豊臣家に嫁ぐ千姫について京都に行っており、この時系列をよく点検すると、お江の子とするには妊娠期間が足りないという指摘が出てきました。春日局の子であるかどうかは別として、少なくともお江の子ではないという可能性はありますね」
春日局の墓は湯島の天澤山麟祥院(てんたくさんりんしょういん)にある。春日通りを湯島天神、切通坂ときて東大に抜ける辺りである。
墓石は卵塔(らんとう)とよばれる縦長の柔らかい曲線を持ち、その墓石の上方に丸い大きな穴が四方にうがたれている。これは、「死後も天下の政道を見守り、之を直していかれるように黄泉から見通せる墓を造ってほしい」という遺言に基づいて造られたものだという。
春日通りは、春日局の屋敷があった東京ドームの隣町の春日町に由来するのだが、現在までその名前が残っていることからも当時の権勢ぶりがうかがえる。加えて、さぞや美人かと思うのだが‥‥。
「いや、美人ではなかったと思いますよ。そう書いてある資料は知りません」
と岡崎氏はにべもない。
が、乳母上がりの春日局のような権力者を出さないように、江戸幕府は工夫している。
「その後は『お乳持ち』といって1人の子供について5人ぐらいおっぱいをあげる女性を雇うようになるのです。それには旗本よりワンランク下の御家人の奥さんたちを起用した。