将軍・殿様の「正室と側室」奇妙な真実(5)3代家光は春日局の子だったのか? (3/3ページ)

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彼の墓は谷中霊園の中に神式の墓があって、土を盛ったいわゆる土饅頭(どまんじゅう)です。徳川家は浄土宗(増上寺)か天台宗(寛永寺)です。慶喜は水戸の出身で、神式だからと別のところに墓がある理由を説明しているのですが、ただそれだけが理由なのか。徳川家の慶喜への微妙な感情があるように私は感じるのです。徳川家を継いだ16代当主の家達(いえさ)とは、『慶喜は家を潰した人、私は家を興した人』と言っていたそうです」

 小石川の傳通院(でんづういん)には家康の母のお大の方の墓があり、傳通院はお大の法名。ここには豊臣家に嫁いだ千姫の墓もある。さらには3代家光の正室だった鷹司孝子(たかつかさたかこ)の墓もある。孝子は京の摂関家から嫁いできた高貴な家柄の正室だが、若き家光は男色の趣味もあり、孝子とはなじまず、すぐに別居。家光が死ぬまでそのまま暮らしている。

「そのせいでしょう、正室なのに孝子の墓は徳川家の菩提寺である増上寺にも寛永寺にも入れてもらえず、格下の傳通院にあります。お大、千姫、孝子の3人は、いずれも旦那と生き別れになった女性たちで、偶然にも皆、この傳通院に埋葬されています。子供が育っていない家斉の側室たちや、幼くして亡くなった将軍の子供たちの墓などがたくさんあって、哀れを誘う悲しい歴史を背負った寺でもあります」

 こうして正妻や妾たちの墓を見ていくと、歴史の真実と同時に、現代にも通じる男と女の愛憎、親子、兄弟間の確執なども見えてくるようだ。江戸東京散歩として岡崎氏の著書を導きに、姫たち、妾たちの墓を巡ってみるのもいいだろう。

岡崎守恭(おかざき・もりやす):1951年、東京都生まれ。早稲田大学人文科卒業。日本経済新聞社入社、北京支局長、政治部長、編集局長(大阪本社)などを歴任。歴史エッセイストとして、国内政治、日本歴史、現代中国をテーマに執筆、講演活動中。著書に『自民党秘史 過ぎ去りし政治家の面影』。

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