藤田田と三人の男 太宰治、山崎晃嗣、カルロス・ゴーン、それぞれの躓き (3/7ページ)

心に残る家族葬



■ポジティブ思考だった藤田田の経歴とマクドナルド一号店

太宰、そして山崎という、戦後日本のありようを体現し、そして消えて行った人物を間近に見、それらに動揺したり引きずられたりすることなく、したたかに生き延びた藤田とは、どのような人物だったのだろうか。

藤田は太宰に主張した「野武士」のように、そして山崎同様、東大在学中の1950(昭和25)年、藤田商店を立ち上げ、その当時の日本ではなかなか手に入れることが難しかった高級雑貨輸出入業を手がけるようになる。それから、1971(昭和46)年、アメリカのマクドナルド社と藤田商店の折半出資により日本マクドナルド株式会社を設立した。

第1号店は、銀座三越の1階だった。オープン初日はレジスターが壊れるほどの勢いで、「日本は米食の国だから、ハンバーガー屋なんて、3日で潰れる」と揶揄する向きもあったが、連日2000人の客が訪れるほどの盛況ぶりだった。しかも今となっては珍しくない光景であるが、かつては「行儀が悪い」と「戦中派」の大人たちが眉をひそめて子どもたちに禁じてきた行動である「歩き食い」、すなわち、銀座の歩行者天国でハンバーガーをかじりながら歩くことが、若者たちにとって流行最先端のファッションとなったのだ。

■藤田田の「田」という名前の由来は?藤田田の経営哲学とは?

藤田田の「田」という名前は、クリスチャンだった母親が、「正しいことが言えるように」と、「口」に十字架を入れて「田」にしたということだったが、「名前負け」することなく、単に時代を読むのに聡い「やり手」の経営者というだけではなく、持ち前の雄弁さや、その「経営哲学」も注目された。

例えば、「『女』と『口』を狙え」。「男は働いて金を稼いでくるもので、女は男が稼いできた金を使って生活を成り立たせるのが役割。だから古今東西を問わず、儲けようと思えば女を攻撃し、女の持っている金を奪うこと」「女を狙って商売すれば必ず成功する。反対に男からカネを巻き上げるのは女の10倍難しい」として、「女」を狙ったハンドバッグや靴などの高級品、そして「口」、すなわち人々が毎日欠かすことができない「食」をターゲットとしたビジネスの推奨。
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