野村克也「俺と巨人ONの真実」史上最高の名監督が激白 (3/5ページ)
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そうすればボールを引っ掛けて、たいてい凡打。仮にバットの芯に当たっても、だいたいファールになるから、カウントを稼ぐこともできた。
王の弱点は、実は彼のプロ入り1年目から見抜いていたんだよね。オープン戦で初めて対戦したとき、外角からちょっと甘く入ったボールを、いきなりバックスクリーンに持っていった。その一方で、内角は打ちづらそうにしていたんだ。その後、王は一本足打法に変えて、内角をさばけるようになった。一本足にしたのは大成功だけど、弱点の傾向自体は王が引退するまで変わらなかったね。
だからこそ、オールスターで王と勝負するときは、いつも心の中で、こう叫んでいたものだよ。「セ・リーグのピッチャー諸君、王は、こうやって攻めるんだ!」
誰もマネしてくれなかったけどね(笑)。
■長嶋茂雄は史上最高の天才バッター
――実際に現役時代、オールスターの舞台で、野村氏は王氏を27打席ノーヒットに抑えている。王氏には同じスラッガーとして闘志を燃やした野村氏だが、長嶋氏に対しては、また違った意識を持っていたという。
野村 大学野球のスター選手だったし、長嶋のことはプロ入り前から知っていたよ。もともとは南海に入るはずだったしね。当時の南海には、立教大学で長嶋の先輩にあたる大沢啓二さんがいた。球団からの指示で、大沢さんはパイプ役になり、長嶋をずっと勧誘していた。それで、一度は南海入団が決まったんだよね。そのとき、もう俺はチームで4番を任されていたけど、「長嶋になら4番を譲ってもいい」と思っていたよ。その頃はまだライバル意識なんてなかったし、向こうはバリバリの野球エリート。こちらは田舎者のテスト生上がりだからね。別に、俺は何番でもよかった。そしたら、ある日、テレビを見ていたら、長嶋が巨人入りを発表していてね。「なんじゃ、そりゃ!」って驚いたよ(笑)。もし、あのとき、長嶋が南海に入っていたら、その後のプロ野球界は、まったく違うものになっていたかもしれないね。
長嶋は史上最高の“天才バッター”だよ。初めて真剣勝負をしたのは、彼がプロ2年目の1959年の日本シリーズ。「なんというスイングスピードだ……」というのが率直な感想だったな。