力道山と美空ひばり、昭和の大スター知られざる友情秘話 (4/5ページ)

日刊大衆

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 力道山のカーマニアぶりは有名で、海外遠征に行くたびに数台の外車を購入。自宅のガレージには常時、3台の外車が並んでいた。「56年のアメリカ遠征では、デトロイトでベンツ・ガルウィング300SLを購入。自分で運転してサンフランシスコまで大陸を横断して、日本に持ち帰っています」(プロレス関係者) 跳ね上げ式ドアのガルウィングは、力道山自慢の愛車。白バイを見つけると、わざとスピードを上げて挑発したという。

 力道山人気が絶頂だった62年11月5日、ひばりは日活スターの小林旭と挙式。「小林との結婚生活は、わずか1年7か月。価値観の違いによる決別は、“理解離婚”として大きな話題を呼びました」(芸能誌記者)

 離婚会見には、ひばりの親代わりとして結婚式に列席した、田岡一雄組長が同席した。48年12月に神戸松竹劇場に出演する際に田岡邸を訪れたのが交流の始まりで、「11歳のひばりが『影を慕いて』をアカペラで歌って、田岡三代目が、その才能に惚れ込みます。ひばりも“田岡のおいちゃん”と呼んで、慕うようになります」(当時の興行界関係者)

 ひばりと田岡三代目の絆が強くなったのは、57年正月の浅草国際劇場で起きた「塩酸事件」からだ。ひばりは、舞台でファンの少女から塩酸を顔にかけられたショックで失神。全治3週間の火傷を負う。「ひばりを寵愛していた田岡三代目は、自分たちが守らなければ、と巡業に同行。塩酸事件の翌年に喜美枝さんと“ひばりプロダクション”を設立します」(前同)

■NHK紅白歌合戦で落選したが

 65年12月、ひばりの代表曲『柔』が第7回日本レコード大賞を受賞。名実ともに女王となるが、公会堂の使用禁止騒動が起こる。「その後、彼女の実弟が起こした不祥事などが原因で、73年の『NHK紅白歌合戦』で落選。

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