力道山と美空ひばり、昭和の大スター知られざる友情秘話 (1/5ページ)

日刊大衆

写真はイメージです
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 日本中を熱狂させた偉大なレスラーと歌姫。2人のカリスマが遺した、偉大すぎる足跡と感動物語を大特集!

「空手チョップ」でプロレス界のヒーローになった力道山と、女性初の国民栄誉賞を受賞した芸能界の女王・美空ひばり。戦後の日本を元気づけた国民的スーパースターだ。

 大相撲で関脇まで昇進した力道山は、1950年8月、自ら髷を切り落として力士を廃業。翌年にプロレスラーへ転向する。「力道山はレスリングの練習を始めて3週間でリングに登場。試合は外国人レスラー相手に引き分け。プロレスラーとしての素質が開花しました」(当時のプロレス関係者)

 プロレス修業で52年に渡米し、全米マット界に力道山旋風を巻き起こす。翌年に凱旋帰国。日本でもプロレス人気が高まる。力道山はプロモーターとしても手腕を発揮。レスラーの招聘、興行の開催、選手のマッチメイク、ギャラの交渉などプロレスビジネス全般を取り仕切っていた。元NWA世界チャンピオンのルー・テーズは、「力道山は私がこれまで接してきた中で最高のプロモーターだった」と評している。

 一方、力道山が関取だった46年9月、9歳の天才少女が横浜のアテネ劇場で初舞台を踏む。加藤和枝、のちの美空ひばりだ。「その年の暮れに、NHK素人のど自慢大会に出場。当時の流行歌『悲しき竹笛』を歌ったんですが、“子どもが大人の歌を披露しても審査の対象にならない”と鐘ひとつ鳴りませんでした」(当時の放送関係者)

 翌年、巡業中に高知県の大杉でバス事故に遭う。ひばりは胸を強打して失神。右手首に生涯消えなかった傷跡が残る。九死に一生を得た彼女は、「歌手になるために生まれてきた命を神様が救ってくれた」と、自分の運命を信じるようになった。

 48年に横浜国際劇場で歌手として本格デビュー。育ての親は、人気ボードビリアンの川田晴久だ。

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