「喝!」の張本勲、長嶋茂雄との知られざる「愛憎43年秘話」 (1/3ページ)

日刊大衆

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「巨人のために死に物狂いで頑張りたい」1975年11月、電撃トレードで日本ハムから巨人入りした張本勲は入団会見で、こう宣言した。傍らには、笑顔で見守る長嶋茂雄監督の姿があった。

 球春が訪れ、各チームとも紅白戦や練習試合を行っているが、今回は、“ミスタープロ野球”長嶋茂雄と、“不屈の3000本安打”張本勲の知られざるドラマを、お届けしたい。

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「ミスターは、ハリさんが欲しくて仕方なかったんです。現役引退後、75年のシーズンから監督としてチームを指揮しましたが、チームはガタガタでしたから。それで、自分に似たタイプのバッターであるハリさんを熱望したんです。彼はミスターと同じく広角打法の名人で、ホームランバッターではないけど大きいのも打てるし、勝負強いところも魅力だった」(当時を知る古参記者)

 長嶋監督は張本を補強してもらうために、「当時の読売グループのトップだった務臺光雄氏(むたい・みつお)に土下座して頼んだ」(前同)という。その結果、トレードでの阪神入りが内定していた張本は、一気呵成に巨人に入団が決まった。当時、長嶋監督のもとで守備走塁コーチを務めていた黒江透修氏が述懐する。

「“いい選手を取ったな”と思いましたね。張本さんは打撃はもちろん、足も、めっぽう速かったですね。彼の加入で高田(繁)が内野にコンバートされて発奮、選手寿命が延びたんだから、いいことづくめでしたよ」

 張本を得た長嶋巨人は、最下位から一転、76年、77年とペナントを連覇。盟主の意地を見せた。

「ハリさんの加入で一番大きかったのは、王さんが復活したこと。最下位に甘んじた年は打率は3割に届かず、本塁打も33本止まりでした。それがハリさんが入るや、発奮して打ちまくり、本塁打と打点の二冠王を獲得しましたから。

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