「喝!」の張本勲、長嶋茂雄との知られざる「愛憎43年秘話」 (3/3ページ)

日刊大衆

「ハリさんが近年、原爆の恐ろしさを伝える活動をしているのは、自らが壮絶な体験をしているからです。他にも、貧困や在日韓国人に対する差別など、余人にはうかがい知ることのできない体験をしているわけです」(前出の球界OB)

■「野球選手にならなければ、ヤクザになっていた」

 過酷な状況下で、張本氏は野球に出合った。

「スポーツ万能で、特に水泳が得意だったというハリさんですが、地元の中学校には水泳部がなく、野球部に入部したんです。もちろん、すぐにエースで4番。強豪校からも注目されていたんですが、野球の実力は文句なしでも“わんぱくすぎた”ため、進学では苦労したといいます」(前同)

 名門の広島商業への進学を希望した張本氏だったが、当時はケンカに明け暮れていたこともあり不合格。松本商業高校(現・瀬戸内高校)の監督に助けられる。

〈些細なことで、よくけんかをしていたのは事実です。それに広島はあの『仁義なき戦い』という映画の舞台になったところです。あのような人たちがなんだか格好よく見えて、よくまねをしてました〉(前掲書)

 張本氏は現役時代、「野球選手にならなければ、ヤクザになっていたかもしれない」と周囲に漏らしていたというが、その迫力は広島で培われたものだろう。苦労して入学した松本商業高だったが、野球強豪校への入学を諦めきれない張本氏は、大阪の浪華商業高校(現・大体大浪商)の名将、中島春雄監督に頼み込み、入学を認められる。

「中島監督と当時の巨人の水原茂監督は、シベリア抑留時代の戦友。その縁で、中島監督が水原監督にハリさんを紹介したんです。水原監督は“中退して巨人に来ないか”と誘ったといいますが、家族会議の結果、“高校だけは卒業しろ”と言われ、巨人入りを断念したといいます」(球界OB)

 長嶋監督に懇願され、晴れて巨人に入団するまで、そこから20年近くの歳月を要することになる。

 現在発売中の『週刊大衆』3月11日号では、続けて長嶋と張本を特集している。

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