梶原景時の仇討ち!鎌倉時代「建仁の乱」で活躍した女武者「坂額御前」の武勇伝(下) (1/6ページ)

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梶原景時の仇討ち!鎌倉時代「建仁の乱」で活躍した女武者「坂額御前」の武勇伝(下)

これまでのあらすじ 仇討ちに決起した女武者「坂額御前」の武勇伝!鎌倉時代の建仁の乱で活躍(上)

仇討ちに決起した女武者「坂額御前」の武勇伝!鎌倉時代の建仁の乱で活躍(中)

頼朝公の死後、鎌倉幕府の功労者であった梶原景時(かじわらの かげとき)が失脚・暗殺され、景時に恩を受けていた越後の豪族・城長茂(じょうの ながもち)は仇討ちに挙兵するも、あえなく討死。

遺された妹・坂額御前(はんがくごぜん)は甥の小太郎資盛(こたろうすけもり)と共に国元の越後・鳥坂(とっさか)に城を構えて挙兵したのでした。

決死の覚悟で一矢報いん

越後の挙兵が鎌倉に報されたのは、建仁元1201年4月2日。近隣の地頭たちが寄ってたかって攻めかかるも、ことごとく撃退されてしまったようです。

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