知的障害を持った青年が冤罪で死刑となり「世界一幸せな(楽しそうな)死刑囚」と呼ばれるまでの物語(アメリカ)※追記あり (4/5ページ)

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 誰もが、彼は殺人など犯していないことがわかっていたが、1939年1月6日、ジョーはおもちゃの列車を手に持ったまま、ガス室へ送られた。

 「ガッシャーン!衝突!早く故障を直さなきゃ」彼はおもちゃの列車をガス室のドアにぶつける真似をして、最後の最後まで楽しそうに声をあげていたという。

 最後の食事に彼が欲しがったのはアイスクリームで、自分がこれから死ぬ運命にあることなど理解していなかった。

 ガス室の意味もわからなかったのだろう。看守に「ノー、ノー、ジョーは死なないよ」と言っていた。

 ジョーは小さな子供のようにニコニコしながらガス室に入り、椅子に縛りつけられ、目隠しをされた。

 「さよなら、ジョー」神父のシャラーはそう声をかけて部屋を出た。

 ロイ・ベストがガスボンベを落とし、オールド・マックス刑務所の看守として、友だちの命を終わらせた。それが彼の仕事だったからだ。

 1939年1月6日、ジョーは23歳でその人生の幕を閉じた。

 死の意味もわからず、死刑が何なのかもわからなかったジョー。刑務所の中では看守たちに見守られ、終始楽しそうにしていた。

 彼はその後、「世界一幸せな死刑囚(The Happiest Man On Death Row)」と呼ばれている。看守のベストが彼をそう呼んでいたように。

追記(2019/03/02):
 日本語にすると「世界一幸せな死刑囚」となるが、原文は「The Happiest Man」である。このHAPPYは、他者からみて「彼が幸せだった」という意味ではなさそうだ。

 コメント欄によると、英語や欧米の価値観では、「自分から見て対象がなにか」という視点をもつ傾向にあるようだ。

 なのでこのHAPPYは「その様子が楽しそう」という意味で、「死刑が決定しているにもかかわらず、最も楽しそうにふるまっていた死刑囚」ということになるだろう。
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