忘れないで!実は9代目まで続いていた鎌倉幕府の将軍たちを一挙に紹介! (2/6ページ)
第4代・藤原頼経(ふじわらの よりつね)
【生没】建保六1218年1月16日~建長八1256年8月11日(享年39歳)
【在位】嘉禄二1226年1月27日~寛元二1244年4月28日(約18年3ヶ月)
【改名】三寅⇒九条頼経⇒藤原頼経⇒行賀
『集古十種』より、藤原頼経肖像。江戸時代。
頼朝公の妹・坊門姫(ぼうもんひめ)の曾孫に当たり、実朝公の暗殺後、源氏の血をひく将軍候補として2歳の時、鎌倉に迎えられます。
将軍に就任した当初は執権・北条一族の傀儡(かいらい。操り人形)将軍として後見されていたものの、成長するにつれて父・九条道家や反執権勢力と共に幕政を牛耳ろうとしたので嫡男・頼嗣に将軍職を譲らされ、それでも反抗し続けたため、京都に追放されてしまいました。
第5代・藤原頼嗣(ふじわらの よりつぐ)【生没】延応元1239年11月21日~建長八1256年9月25日(享年18歳)
【在位】寛元二1244年4月28日~建長四1252年2月20日(約7年10ヶ月)
6歳の時に父・頼経から将軍職を譲られるも、父以上の傀儡将軍であった上に、父が関与した謀叛のとばっちりで将軍職を解任されてしまいます。
父ともども京都に追放された4年後、父と1か月違いで病死。死因は当時都で流行していた赤斑瘡(麻疹)と言われていますが、親子が相次いで亡くなったことから、暗殺されたとの説もあるようです。