忘れないで!実は9代目まで続いていた鎌倉幕府の将軍たちを一挙に紹介! (4/6ページ)
竹崎季長『蒙古襲来絵詞』正応六1293年
これは蒙古襲来(元寇)という未曽有の国難を前に、将軍を初代・頼朝公(源氏の棟梁)になぞらえて御家人の結束力を強めるための施策と言われ、その甲斐?あってか、幕府軍は元軍の撃退に成功します。
しかし、いざ脅威がなくなると、惟康将軍のカリスマが邪魔となった執権は惟康将軍を皇族に復帰(親王宣下)させ、従兄弟である久明親王(ひさあきらしんのう。後深草天皇の第六皇子)に将軍職を譲らせた上、京都に追放してしまいました。
後深草天皇に仕えた女房・二条の日記『とはずがたり』によると、惟康親王が鎌倉を追放される時、親王が輿(こし)にも乗らない内に、下級武士たちが将軍の今まで住んでいた御所を土足で踏み荒らし、破壊する様子に、女房(にょうぼう。女官)たちは泣いて右往左往するばかりであったと言います。
筵(むしろ)に包まれた粗末な輿に乗せられて、惟康親王は大いに泣いたそうですが、未曽有の国難には散々利用しておきながら、用済みとなれば無情の仕打ち、かつての義経公を彷彿とさせるようです。
第8代・久明親王(ひさあきらしんのう)【生没】建治二1276年9月11日~嘉暦三1328年10月14日(享年53歳)
【在位】正応二1289年10月9日~延慶元1308年8月4日(約18年10ヶ月)
後深草天皇の第六皇子。執権からの要請で将軍職に就任するも、名目上の存在に過ぎず、和歌に打ち込んだ辺りは伯父の宗尊親王に似ています。