武蔵野市御殿山2丁目のむらさき橋の側にある「犬むすびの松」を調べてみた (3/5ページ)

心に残る家族葬

するとオオカミも人々に馴れるようになり、いつしかそれを待ちわびているような様子を見せるようになった。それに伴い、オオカミが畑を荒らしたり、人に害を与えたりすることがなくなったばかりでなく、キツネやタヌキも姿を見せなくなっていったという。

■人々を助け、共存共栄していたオオカミが亡くなったことで「犬むすびの松」と名付けられた

そんなとき、オオカミ夫婦の片方が亡くなった。人々はそれをかわいそうに思い、玉川上水脇のクロマツの下に埋めた。その松は「犬松(いぬまつ)」と呼ばれた。更に豪農の家のカヤの木の下には、オオカミを祀る小さな祠が建てられた。また元来、八丁野を開墾・移住したのが奥多摩の人々だったことから、現在、「関東のパワースポット」として有名な、埼玉県秩父市の三峯(みつみね)神社の「お犬(いぬ)様」を勧請し、オオカミの命日とされる4月15日に毎年、八丁野を挙げての祭礼が行われるようになった。

■オオカミへの供養儀礼は1940年まで続けられた

祭礼の折、村人たちは赤飯を炊いて、松の木の下のお犬様にお供えする。そしてそのお下がりを元ダネにして、改めて赤飯を炊き、「お犬様のむすびだよ」と言いながら、八丁野の人々に配った。または赤飯の代わりに白米を炊き、にぎり飯にする場合もあった。特に子どもたちは普段、麦やヒエなどの雑穀しか口にできなかったため、この日に米が食べられることを正月同様、心待ちにしていた。しかも村人たちは、この「犬むすび」を食べることで、その年の厄除け、盗難除けなどのご利益がもたらされると信じてもいた。こうしたこの一連の儀礼は、当時20軒余りだったという村人たちの団結心を強める役割を果たしたという。この祭礼は、江戸から明治、大正を経て、第2次世界大戦前夜の昭和15(1940)年の春まで続けられた。

■「オオカミ信仰」とは

昔の日本人は、今日でこそ日本国内では絶滅してしまったとされる、イヌ科の哺乳動物である「オオカミ」のことを、「山犬(やまいぬ)」「山の犬」、または「お犬様」と呼ぶなどして、今日のように「イヌ」と「オオカミ」を厳正に区別して言うことはなかった。ただ、普通の「イヌ」のようにペットとして飼い馴らすというよりも、「山の神の眷属(けんぞく。

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