追悼・萩原健一 ショーケンと水谷豊に学ぶ“男の生き様” (1/3ページ)

日刊大衆

追悼・萩原健一 ショーケンと水谷豊に学ぶ“男の生き様”

 今に語り継がれる名作ドラマ『傷だらけの天使』(日本テレビ系)で、萩原健一(以下、ショーケン)と水谷豊(66)が共演したのは1974年のこと。劇中、「アキラ」「アニキ」と呼び合い抜群のコンビネーションを見せた両者だが、男として、俳優としての生き様は実に対照的だ。

 ショーケンは、1950年、団塊の世代よりわずかに遅れて生まれている。17歳のときにザ・テンプターズのボーカルとしてデビューし、スターの座を手に入れた。しかし、その過程で所属事務所が敷いたレールの上を走ることに疑問を感じるようになる。

 そして、デビューから2年あまりで解散を申し出る。すでにバンド内には不協和音があったが、他のメンバーは解散に反対した。ショーケンは、2003年に『週刊ポスト』(小学館)のインタビューで、当時をこう述懐している。

〈バンドを維持すれば給料を貰えるから我慢するという。子供のくせにサラリーマン化しちゃってたんだ。でも僕は、そんな生き方は断じて嫌だったんだよね〉

 結局、テンプターズは解散。新バンド・PYGでの活動を経て、俳優に転向したショーケンにとって出世作となったのが、72年『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)だ。

 当時はまだ22歳。俳優としては駆け出しながら、スタッフにさまざまな提案をして、作品の質を上げる姿勢を見せていた。また、納得がいかないことがあると、天下の石原裕次郎にも噛みついた。

「一番お金を取っているのに、一番遅く来て、一番先に帰るってのは、ないんじゃないの?」これを笑って受け流し、以後もショーケンをかわいがったという裕次郎の度量の広さもアッパレである。

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