人は死ねばごみになるのか (1/4ページ)

心に残る家族葬

人は死ねばごみになるのか

がんで亡くなった元検事総長・伊藤栄樹(1925~88)は「人間は死ねばゴミになる」と言った。この言葉がタイトルとなっている著書を読めばわかるが、伊藤は決してニヒリズムやペシミズムでこの発言をしたわけではなく、その強靭な意思には敬服する他ない。しかし、一方で科学的世界観が支配する現代社会では、まさにこの字面通りに「人間」を解釈している「唯物論者」も少なくない。人間は死ねばゴミになるのだろうか。

■8年が経過した現在も帰宅を待つ家族がいる

東日本大震災から8年が経ったが、未だ2500人近い行方不明者がおり、月命日(11日)には捜索が行われている。震災後8年が経った今となっては遺体(と言わせて頂く)の発見は、ほぼあり得ない。しかし、遺族は骨の一片でも出てきてくれればと願っている。

NHKのニュースサイトに掲載された4月11日の月命日の様子を紹介する。

「11日は午前10時に、亘理町荒浜の阿武隈川の河口近くの海岸に地元の警察官6人が集まり、海に向かって黙とうしました。そして10日から積もった雪をかき分けながら、かぎの付いた道具を使って枯れ葉を取り除いたり、波消しブロックの間を注意深く見たりしながら行方が分からない人たちの手がかりを捜していました。亘理警察署の戸島和樹地域課長は「行方不明者の発見に結び付く手がかりを1つでも多く発見して家族の元に返したい。震災を風化させないためにも捜索活動を続けたい」(NHK NEWS WEB2019年4月11日 12時01分配信)

亘理警察署の方たちだけではない。被災地の至るところで、捜索にあたっている人たちは口々に「家族の下に帰してあげたい」と語っている。

事件・事故の犠牲となった人たちの遺体が「無言の帰宅」をした時、遺族は「お帰り」と迎える。骨でもなんでもいい、冷たい海や寒空から暖かい家に帰ってきてもらいたい。それが家族の、捜索にあたっている人たちの心情である。

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