人は死ねばごみになるのか (3/4ページ)

心に残る家族葬



ドナーの臓器を待つ、レシピエント(移植希望者)の命を救う「命のリレー」という美辞麗句の裏には、遺体を「モノ」としてみる唯物論が隠れている。

■エンゼルケアは遺体をモノとして見ていない

多くの病院にはエンゼルセットと呼ばれる、死後処置セットが備えられており、死後直後の遺体は看護士らによる死後処置「エンゼルケア」が行われる。

医療器具の類を外し、体内の排泄物の排出などを行った後、口腔洗浄から洗髪、整髪などで外見を整えていく。最後に衣服を着せ、死化粧(エンゼルメイク)を施すのだ。エンゼルケアは、体液や排泄物による汚染や、病原微生物の飛散を防ぐなどの目的があるが、同時に、その人の最期の顔を大切なものと考え、家族の意向を尊重しながら、時には家族と共に「その人らしい」姿にして送り出すために行われるものだ。近年、見直しや改善が取り組まれており(鼻や肛門などへの綿詰めの廃止など)、その重要性が認識されつつある。ほとんどの人間は遺体を「モノ」として扱う気にはどうしてもなれないのである。

■エンゼルケアにかかわらない医師は生者のための存在

エンゼルケアに医師は関わらない。医師は死亡を確認し臨終を告げたあと、看護士に任せ病室から去る。死亡診断やら、臓器移植の手続きやら多忙であるし、他の患者もいる。死後処置は医師がやる仕事ではない。医師は生きている者のための存在なのだ。

医師の仕事は治療である。患者の病気を治すまでが仕事であり、死んでしまった患者はもはや患者ではない。医師が次に遺体と会う機会があるとすれば、臓器移植以外にない。医師にはパーツの取り出しという作業が待っている。

■仏心なき鬼手とならないことを願う

「鬼手仏心(きしゅぶっしん)」という言葉がある。元は仏教用語だが、医療業界でよく用いられている。

「外科医は手術のとき、残酷なほど大胆にメスを入れるが、それは何としても患者を救いたいという温かい純粋な心からである」(大辞林 三省堂)

もちろん心ある医師もいるだろうが、移植用の臓器をパーツ扱いする程の割り切りがなければ冷静で正確な手術はできないのかもしれない。
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