特集・日本の歴史は忍者とともにあった!? (2/3ページ)

日刊大衆

 大楠公として知られる南北朝時代の英雄・楠木正成もまた、忍者マスターのひとりとされる。正成が用いたゲリラ戦術は、戦場働きを得意とする“ 戦忍(いくさしの)び”の源流となる。いずれにせよ、世が麻の如く乱れると忍者の需要が高まっていく、という公式がありそうだ。

 その意味で、史上もっとも忍者が活躍した時代が戦国時代である。天下を狙う各地の戦国大名、豪族、神社仏閣、商人衆といった諸勢力が入り乱れたこの時代、有力者は諜報や特殊任務のプロである忍者たちを競って雇い入れた。武力を持たない朝廷も、「御所忍び」と呼ばれる忍者を用いていたとされる。

 そうした忍者の一大供給地となったのが、伊賀と甲賀だ。両地は“忍者の人材派遣業”に精を出したが、長期契約をモットーとする伊賀に対し、甲賀は“ひと仕事いくら”で請け負う短期派遣を売りにした。

■忍者を生んだ日本は世界最弱の情報貧国

 伊賀・甲賀の忍者が全国に忍びの技術を広め、土地土地の間諜の伝統と化学反応を起こし、各地で個性豊かな忍者集団が乱立したのも戦国時代の特徴だ。

 有力大名は独自に強力な忍者衆を組織し、武田の「透破(すっぱ)」、織田の「饗談(きょうだん)」、上杉の「軒猿(のきざる)」、伊達の「黒脛巾組(くろはばきぐみ)」、毛利の「世鬼(せき)一族」、北条の「風魔(ふうま)」などが誕生した。

 なかでも“甲斐の虎”武田信玄は、忍者を重視していたとされる。「人は城、人は石垣…」で知られる信玄は、強固なインフラよりも、情報や人間感情の機微を重んじた武将であるため、忍者を重視したのは当然だろう。

 信玄は透破と呼ばれた忍者集団に加え、「歩き巫女」に扮した「くの一(女忍者)」を全国に派遣し、情報収集を命じたとされる。また、「金山衆」と呼ばれる鉱山技師たちも、情報収集や城攻めの特殊工作に用いたと伝わっている。

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